2013年02月04日

石部神社の勧請縄

昨日、「SL北びわこ号」牽引のカマの回送を追っ掛け、
再度の撮影には名神の竜王ICから出た。
インターの近くの石部神社の鳥居に、真新しい勧請縄をみた。
ツノ、ヌサやオニも無く、12本の藁縄だけが下がっていた。
藁縄は樒だろうか、フサフサとしてぶら下がっていた。

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2010年06月10日

勧請縄(外から内をみる)

今夜、鍵と今里の蛇巻きの写真と文をHPにUPした。
そこの蛇巻きは、町中を練った後、勧請縄となって町内を守る。
勧請縄にちなみ、今夜のBlogのUPは、滋賀県東近江市妙法寺町の勧請縄をUP。
以前(平成20年1月31日)に、妙法寺町の町内から勧請縄を経て“外”を眺めた写真をUPしているが、今夜の写真は逆に“外”から“内”を眺めている。つまり魔障・疫神の目線ということになる。町中を伺うも、勧請縄に遮られて町内に侵入できない、、、そんな感じだ。中央の護符には、町内安全・風雨順時・五穀成熟・萬民招福 とある。
(平成20年1月27日撮影)
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2009年02月25日

大森神社の勧請縄(東近江市)

滋賀県東近江市大森町の大森神社の参道に掛かる勧請縄が、今夜の添付写真である。
小勧請縄が下がることなく、中央には樹の枝(たぶん藤)で焼き魚でも焼く網状にトリイクグラズ(“オニ”とも呼ぶ)を作って付ける。
今年、甲賀市市原の浄正寺のオコナイを参詣・撮影した際、藤の枝で床を叩いて乱声の後に、輪を作って薬師堂内を転がす呪術的作法があった。この輪は、女性器を表すという。この輪と勧請縄のトリイクグラズの類似性を先日、中島誠一先生(長浜市長浜城歴史博物館館長)にお会いした時にお話した。“参道”に掛かるから、語呂が“産道”に通じるとは我ながらイイ発想かと思ったが、先生が仰るには“ドーマン(あるいは“セーマン”)”かとも仰られていた。成る程!である。勧請縄が邪霊・悪霊の類から守る役目だから、女性器では発想が飛躍し過ぎてるだろう。しかし、まさかドーマン(あるいはセーマンと呼ばれる場合もある)とは、思いもしなかった。ドーマンなら、陰陽道的な呪術性でも納得いくし、このような勧請縄を用いる呪法が山伏あたりから伝わったという想像にも結びつくだろう。
(昨年1月27日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2009年01月30日

勧請縄(近江八幡市・武佐神社)

今月22日に拙BlogにUPした勧請縄は武佐神下町(滋賀県近江八幡市)の街角であったが、今夜の添付写真は、武佐神社の境内に掛かる勧請縄である。神社境内だからといって、一般的な注連縄と違うことは藁縄(小勧請縄)が垂れ下がって、中央にオニが付いた頭と尾のある縄であることからも判る。しかし藁縄は11本しか、どう数えても無かったが、どうしたのだろう、、、。勧請縄の行事は、縄を編むところから始まり、式では盃の儀や当渡之儀までしっかりされるようである。このような儀礼も、いつか拝見したいものである。
ちなみにこの武佐町、江戸時代には中山道の武佐宿があった、古い宿場町だそうである。人や物の往来が激しかったこの街を呪術的に守るため、勧請縄は威力を発揮したことだろう。その伝統を今に伝える勧請縄、いつまでも伝承して欲しいものだ。
(今月12日撮影 @滋賀県近江八幡市;Nikon D300+VR18-200mm)
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2009年01月22日

勧請縄(近江八幡市武佐町)・写真

滋賀県近江八幡市武佐町の勧請縄である。昨年12月23日に訪れた時は、檜の葉(オニ)が一年の雨風に晒されてくたびれ果てていたが、今月12日の訪問時には、新しく掛けられていた。勧請吊りの儀式は1月4日にあったようだが、この日付は例年変わるらしいので、なかなか事前の把握が難しい。一般的に“トリイクグラズ”とか呼ばれる勧請縄の中央の飾りは、ここでは二本の角が生えた“オニ”と呼ぶ。樒や榊でなく檜で出来ているのも、東近江市周辺の勧請縄とは異なる。悪霊が集落へ侵入するのを防ぐ、鬼のパワーを意味することは周知であろう。勧請縄が出来上がる夕刻から武佐神社の社務所で儀式が行われるようである。宮座の形式を残しているようで、今年の当番のから来年の当番への“当渡し”の行事もあるようである。
しかしこの勧請縄、街角のコーナーに吊るされているが、、、そう、昔は道切りのスタイルで路を跨いでいたそうである。やはりそのスタイルが正しいだろう。
(今月12日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2009年01月09日

勧請縄(栗東市)・写真

滋賀県栗東市辻町、三上神社境内の勧請縄である。
大縄からは13本の小勧請縄が垂れ、中心部には杉でできたトリクグラズ(語源は「鳥居潜らず」か?)が付いている。それらの付随物から、神社の注連縄とは違うことが判る。神社境内に入り込む邪霊疫神を遮る目的か、あるいは神社の真ん前を通る国道8号線によって集落が分断されるかして、本来は辻の外れに掛けて集落の防御をしていた勧請縄を、神社境内に吊るすように変更になったのかもしれない。掛けている支柱が新らしいステンレスの棒というのは、本来はここに吊るしていたわけではないことを物語るようにも思える。
(昨年3月30日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年05月14日

勧請縄(蛇溝町)・写真

長緒神社境内に横に伸びる勧請縄が掛かっていた。その様相は、まるで地名の一字のように蛇のよう。蛇縄という呼称もふさわしい形である。
勧請縄につけられたトリクグラズ(またはオニ)には呪符が付いていた。神力演大光…、天下和順、、、も共に浄土三部経の『無量寿経』の一文である。
神社に経の一文、、、まさに神仏混淆の世界だ。
(滋賀県東近江市蛇溝町にて、本年1月27日撮影)
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2008年04月24日

勧請縄(近江八幡市中之庄町)・写真

天之御中主尊神社(滋賀県近江八幡市中之庄町)へ例祭における宵宮・松明を撮影に行ったおり、勧請縄を見つけた。松明ばかりに気を引かれていたし、ここに勧請縄が有るとは思いもよらなかったので、頭上に掛かった勧請縄を見た時は、かなり驚いた。メインの大縄は綱で何ら工夫が無い。大縄から小勧請縄が下がることも無いが、中央の呪具は単純明快である。樫の葉(?)でマークが入っており、邪霊・悪鬼の侵入禁止のマークである。これまで拙Blogでこの呪具を「トリクグラズ」と書いてきたが、近江八幡市域では「オニ」と呼ぶようである。そして小勧請縄は藁綱と呼ぶようである。場所によって呼称はかなり違うようだが、意図は同じである。余談だが、「オニ」は形態によっては「モロギ」とも呼ぶようであるから、現地の人が居たら、確認が必要であろう。「モロギ」は神籬が簡略化した呼称であろう。
添付写真の「オニ」は掛けられて三ヶ月にもなるので、かなり枯れて茶色ずんでいる。写真左下の手水舎の屋根の背後に、笠松明の一部分が見えている。勧請縄笠松明・・・現地の宗教風習のワンダーランドである。
(今月19日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年04月03日

勧請縄(妙法寺町の護符)・写真

添付写真は滋賀県東近江市妙法寺町の勧請縄である。この勧請縄、掛け替えられる前の昨年12月30日に撮影して翌日に拙BlogにもUPした。その時の護符では、「急々如律令」の文字は集落外を向き、集落内には「町内安全 風雨順時 五穀成熟 萬民招福」と書かれた面が向いていた。今夜UPの写真は、今年になって掛け替えられた後の写真である。1月8日前後に掛け替えられた勧請縄を撮影したのは1月27日であったから、小勧請縄も昨年末の撮影時のように萎びていないし、美しい状態であった。ただ、護符では急々如律令は集落内を向いていた。呪文の内容が集落内外のどちらを向くかは、あまり関係なさそうである。勧請縄という呪術的装置の存在自体が重要なのであろう。小雪舞う中での撮影だが、雪中の勧請縄の写真は早くUPしないと違和感あるほど暖かくなってきた今日この頃である。
(今年1月27日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年03月19日

勧請縄(池之脇町) ・写真

滋賀県東近江市池之脇町に安座する白鳥神社さんの参道に掛かる勧請縄が、今夜の添付写真。大縄から小勧請縄が下がり、中央には祈祷札が付き、さらに三本の御幣が立っている。小勧請縄は1本、2本、、、数えたら、14本?! 小勧請縄は月の数だから平年は12本。閏年は13本だと思っていたのだが、、、。1本はオマケかっ(?〜汗)。 (今月1日の撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年03月18日

勧請縄(中小路町)・写真

まるでクリスマスリース飾りのように見える勧請縄が、辻の電柱に掛かっていた。クリスマスリースも常緑樹を使った魔除けらしいが、その発想は勧請縄に相通じる。子供の飛び出し注意の看板の絵が、まるでかくれんぼでもしてるかのように無邪気に見える。
(滋賀県東近江市中小路町にて;今年1月27日撮影、Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年03月12日

勧請縄(伊庭町) ・写真

滋賀県東近江市伊庭町のメインストリートに道切りスタイルで掛けられた勧請縄が、今夜の添付写真
大縄の中央から竹製のトリクグラズを檜の葉で飾り、さらに御幣が三本立て、小勧請縄も吊るすという見事さ。この勧請縄は、最近 私が拝見した勧請縄の中でも「お気に入り」のトップクラスの荘厳さである。
通りがかった老人が、1月8日に吊るすと教えて下さったが、老人ばかりになって大変です、とも。大変とは吊るす体力だけでなく、伝承の大変さも意味されるのであろう。
(今月1日撮影;Nikon D300+VR18−200mm)
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2008年03月07日

勧請縄(永源寺高野町)・写真

滋賀県東近江市永源寺高野町、高野神社の参道に掛かる勧請縄が今夜の添付写真。高野町の集落の外れの山麓から階段の参道が登っていたが、山を周り込むように隘路な車道があったので約200mも走ったら、参道の途中に出た。すると眼前に勧請縄がっ。中央に約80cm四方ほどの竹で組んだトリクグラズを垂らし、かつ蛇縄らしく頭と尾側が明瞭な豪快な勧請縄である。
(今月1日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年02月19日

勧請縄 (尻無町)・写真

かなりシンプルな勧請縄である。蛇縄的に頭と尾の区別もはっきりしないが、道路を渡してある道切り・辻切りタイプの勧請縄だ。大縄からは小勧請縄が吊るされることもないが、中央に裏側を常緑樹で荘厳された護符が一つ付いていた。その護符の仏尊名が、過去七仏という不勉強な私的には知らなかった名前が記されていた。「南無…」という形で記されていた七仏は、下記の通りである。 注連縄に仏尊名、、、神仏習合的だ。
毘婆尸佛( 無憂 八萬歳) 、尸棄佛 (忍行 七萬歳)、 毘舎深佛 (寂滅 六萬歳)、拘留孫佛 (善覚 四萬歳)、 拘那含牟尼佛 (安和 三萬歳)、迦葉佛 (善友 二萬歳)、釋迦牟尼佛 (阿難 百歳)
集落の外れに掛けられたこの勧請縄、車で集落内から出てきた人に尋ねたら、すぐに場所が分かった。場所によっては勧請縄の所在が分からなくって人に尋ねると、勧請縄といっても埒が明かず、注連縄とか縄とか言うと関係ない神社を教えられたり縄を売っている店か、とか逆質問されたりする。あげくは、私はこの土地の者でないから、とか自転車漕いでいる人にまで言われる始末(苦笑)。あぁ〜あ。。。(汗)。
(滋賀県東近江市尻無町で、先月27日撮影、Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年02月18日

勧請縄(蘇民将来護符)・写真

滋賀県東近江市寺町の天神神社の勧請縄には、「蘇民将来子孫」の護符の付いた勧請縄が掛かっていた。「蘇民将来子孫」の護符であるが・・・
陰陽道系の疫神で、日本に入ってきて須佐之男命と習合している「牛頭天王」が竜宮への途中で巨旦将来という裕福な弟と、貧しい蘇民将来という兄に宿を頼んだ話に由来している。拒絶した弟は殺され、兄は宿を貸したため、牛頭天王は兄の蘇民将来の子孫を疫病から守る約束をしたという。夏・冬に神社で行われる「茅の輪くぐり」こそ、その疫病から逃れるための秘法であり、民間宗教的には家の神として疫神が玄関から侵入して来ないように「蘇民将来子孫」の護符を玄関に掛ける例が見られる。これは今日でも伊勢市内で盛んで、その様子は拙HPにUPしてある↓URL。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/near/5/
全国の神社で行われる茅の輪くぐり は、蘇民将来子孫の護符を外すことで「茅」の霊力で清め祓いをする行事となっている。しかし添付写真の場合、八坂神社の御祭神にも関係する「蘇民将来子孫」護符が神社の御祭神とは関係ない天神神社に掛かっているのがミソである(疫神という共通性はあるけど)。蘇民将来の呪い(まじない)を使っているのである。考えてみれば「道切り・辻切り」するタイプの勧請縄は「茅の輪」の一種の変形と思えなくも無い。しかし添付写真のような吊るすタイプは、先月29日五智町の勧請縄でも記したように、道祖神的な塞ノ神的な勧請縄に思える。外見だけでなく、内容的にも勧請縄はいろいろ有りそうで面白い。
(先月27日、滋賀県東近江市で撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年01月31日

勧請縄(勧請吊り)妙法寺町(2)・写真

妙法寺町(滋賀県東近江市)の勧請縄を、集落側からソトを見たのが今夜の添付写真。妙法寺町の勧請縄は昨年12月31日の拙BlogでもUPしたが今夜の添付写真はそれとは違い、同じ集落でも北東方面に位置するである。鬼門の方角に位置するわけだが、この集落では二箇所に勧請縄が吊ってある。のソトを見ると、いかにも荒涼とした野が寒々とした気持ちにさせるし、それに比べて勧請縄で守られた集落内には家々の家庭の温もりが感じられるのだ。
ところで目で見る民族神;第三巻・境と辻の神(萩原秀三郎)東京美術刊】には、わずか2ページだけだが勧請縄の記事と写真が載っている。撮影場所が妙法寺町となっているが、どうやら勧請縄の形や地形から、どうもこののように思える。なにしろ写真は戦後間もなくの昭和20年代頃の撮影と思えるようなものなのだ。地形は同じようでも、写っている路がダートで狭かったり、家が掘っ立て小屋だったりとレトロである。しかし勧請縄の形は変わっていないのが素晴らしい。
(添付写真は今月27日撮影;Nikon D80+SIGMA10-20mm)
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2008年01月30日

勧請縄と注連縄 ・写真

神社の注連縄と、勧請縄の違いを述べるのは難しい。神社の注連縄は神域の境界で、穢れ無き聖域を結界している。【古事記】において、岩屋戸から天照大御神を引き出した後、布刀玉命が岩屋戸を「尻くめ縄」で封印するシーンが出るが、この封印した縄が注連縄の起源と云われる。注連縄は神社だけでなく、お正月には玄関に注連飾りとして期間限定で民家にも付けられる。これは神域というより、お正月に訪れる歳神様を勧請する依代である。歳神様は穀霊ということで考えるならお正月の注連飾りも勧請縄とは共通性が強い。勧請縄の勧請とは、山ノ神・田ノ神を勧請する縄という意味である。しかし民家の注連飾りと勧請縄が違う点は、期間限定ではなく通年で魔物の侵入を遮る道祖神的・塞神的な意味合いがあることだろう。そして面白いのは、例えば湖南市石部町において勧請縄吊り行事が「オコナイ」として行われている点である。石部町の「オコナイ」は未見なので、本()を参考にすると、常楽寺で僧侶が読経をして勧請縄吊りを行うようである。「オコナイ」は民間修正会・修二会であるから、古い形式を保っている場合は寺院で行われるのだ。勧請縄は注連縄から派生したモノかと思うのだが、今でも必ずしも神式の行事として扱われていない点に神仏習合時代の名残が見られる。添付写真は滋賀県東近江市中小路町の勧請縄の、呪符のアップ写真である。十二光仏の名前が記載してある点が注目である。無量光佛・歓喜光佛・智慧光佛・不断光佛・日月光佛などなど、、、。十二光仏とは、阿弥陀仏の光明を十二種の功徳に分けて、それぞれに命名した阿弥陀如来の異称だという。神を勧請するはずが、仏に祈祷する、、、まったく習合的で面白い。
)中島誠一・宇野日出生【神々の酒肴 湖国の神饌】思文閣出版、¥3200+税
添付写真は今月27日撮影、滋賀県東近江市中小路町;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年01月29日

勧請縄 (勧請吊り) 五智町 ・写真


nawagoc Nitta.JPG名神高速道路八日市ICから半径3kmで探しても、けっこう勧請縄は多い。今日UPした五智町は、ICから最も近い部類だ。ただ、初めての街で細く入り込んだ路地に迷い込むと何処に居るかも分からなくなるので、五智町の郵便番号をナビに入れて走った。ナビの表示する方向の田の向こうに集落が見えてきた。田んぼの中に島のように集落が有る場合、勧請縄を探すのは容易だ。勧請縄は集落の外れにあるからだ。ただ外れとは云っても、どの辻にあるかだけが問題だが。細い路地のわりに、案外と往来がある。狭い道で対向車を避ける時には路肩には積雪があり、スタッドレスタイヤとはいえ、運転は慎重になる。四辻に来た時、ふと道路ミラーに目をやったら、勧請縄も目に入った。ここのは昨日UPした岡田町の勧請縄のように、幅1.5mくらいの勧請縄である。違う点は、そこから魔除けとされている南天がフサフサとブラ下がった勧請縄であることだ。道路ミラーの存在でも分かるように四辻に存在しており、「塞神道祖神)」的・「辻神」的な勧請縄である。ソトから辻を通って魔が集落に入り込むのを防ぐ、防塞装置である。
この道路ミラー、「注意」と矢印が付いているので、どうぞ鏡面も御注意下さい。セルフポートレート的に、私をも写してあります(汗)。
(今月27日撮影、滋賀県東近江市五智町;Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年01月28日

勧請縄(勧請吊り) 岡田町 ・写真

東近江市岡田町勧請縄勧請吊り)は、岡田町の国道307号線交差点から60mくらい入った場所にある。名神高速道路八日市ICから421号線を御園の信号まで走って左折、御園から岡田町の信号までほんの僅かの距離であるから、ICからの撮影アクセスは良い。さて勧請縄であるが、八幡神社の参道前に吊ってあるが、そのポイントは岡田町の集落への入り口にもあたる。道切りするような形態ではなく、道路脇にあるのが道祖神的である。幅1.5mくらいの場所に湾曲するような大勧請縄がかかっているが、片方は電柱を代用している。(勧請縄の大きさは、プリウス君との比較で分かって頂けると思う) 大勧請縄の中央には呪符(護符)が付いており、「奉祈祷町内年中安泰 ○ 令百由旬内 無諸哀患」そして金剛界大日如来(?)の梵字が書かれていた。勧請縄には形態別の呼称や分類が有るのだろうか、、、この勧請縄、顎鬚みたいだ。
添付写真は昨日の撮影;滋賀県東近江市岡田町、 Nikon D300+VR18-200mm)
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2008年01月27日

勧請縄(勧請吊り)土器町 ・写真

名神高速道路を一路西へ。彦根を越えた頃から吹雪となった。今日の目的は、滋賀県東近江市周辺の勧請縄勧請吊り)の撮影。添付写真は八日市ICから約4Km、日野町方面への国道307号線を途中で右折した土器町の、天満神社付近に掛かる勧請縄である。雪+オバちゃん+美しい勧請縄で、本日のお気に入りNo.1の写真。大縄の中央にトリクグラズを樒でデコレーションして、大縄からは十二本(十二ヶ月)垂らしている。大縄には御幣も立ち、本当に美しい
(本日の撮影;滋賀県東近江市土器町、Nikon D300+VR18-200mm)
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