2016年09月22日

宝生能楽堂へ

今月18日(日)には上野の東京文化会館で
ワーグナーの【トリスタンとイゾルデ】のオペラ鑑賞。
翌19日(月・祝)の夜には後楽園の東京ドームで
BABYMETALライブに。
両者に挟まれる形で19日の午後には水道橋の宝生能楽堂で
観世流の能を堪能してきた。
宝生能楽堂だからって、宝生流ばかりが上演される訳では
ない。自分の稽古流派が宝生流だから 他の流派は意識的に
観るのを避けていた時期も有ったが、今ではそんな意地も
無くなり、他流も楽しむようになっている。
当日の番組は能が二番、狂言と舞囃子がそれぞれ一番ずつ
で番組名は下記にするとして、その内から 能【船橋】
ついて、簡単に、、。 この番組、初見のような気がする。
まず気になったのは、前シテが直面(面無しの素顔)で
ツレが小面(こおもて、という面)である点である。最初、
逆かと思った。ワキとワキツレの前に現れた男女は既に
冥界の住人なのだから、男が直面というのは不思議である。
女は男性能楽師なので女面なのは仕方ない処だろうが。
そして後場へは、女(ツレ)は鏡板前の後見柱近くで控えて
いるだけで鏡の間に入らない。男だけが直面から怪士面で
出る。妄執に狂う舞を舞うのがシテの男だけだから、直面
から着面になるのは分かる。しかし同じように策略で死んだ
女が面も変わらず、前場後場で変わらないのは不思議だ。
一説によると、この女(ツレ)ももっと重要な役だった
ことがあるのでは、という説明もある。不変と思われる
能の内容が変化した可能性が示唆され、興味深い点である。

能楽師さん、お囃子方の諸師さんの凄みのある演能で、
やっぱ能も東京だと再認識した。

藤波能の会 9月19日(祝・月)13時30分〜16時45分
@ 宝生能楽堂 (水道橋)
舞囃子 【花筐】
能   【花月】
狂言  【狐塚】
能   【船橋】
付祝言

能【船橋】の物語解説は、下記に詳しいので
ご参照下さい。観世流 銕仙会の HPです
   
銕仙会 能【船橋】

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2016年07月04日

HP トップページ写真;能 鉄輪

HP更新に伴い、トップページ写真も交換。

夏に多く行われる薪能。陽も落ちて涼しくなる
夕暮れから夜にかけて行われる薪能は昨今では
古典芸能の夏の風物詩の一コマとして確立されてます。
しかし楽師さんは装束の暑さに耐えつつで、苦労も
多いことと思います。ましてや火の粉は装束の大敵。
添付写真は物語自体の季節は秋なれど、分かりやすい
内容から薪能で人気の曲である『鉄輪(かなわ)』。
舞台は京の貴船と洛中ですが、作り物は祭壇だけで
す。夫の不実を恨んだ女の怨念が鬼となって男に
憑りつこうとします。生霊を調伏しようとする晴明
との対決がクライマックスで、背筋も凍る恐ろしさが
真夏の一夜にふさわしいのかもしれません。
ただし、、、能は悪霊や鬼を退治して めでたし
めでたし の芸能ではありません。退治される怨霊の
怨霊にならざるへなかった妄執の深さや哀れさに、
情を持って慈しみ、誰もが心の奥底に持つ鬼になり
える心の闇にスポットライトを当てて舞います。
能の深さは、その敗者の側に立った芸能であることが
際立っている点でしょう。

この 能【鉄輪】 には、素晴らし DVD が出ています。
札幌メディアパーク・スピカにおける舞台録画で
『蝋燭能 第一夜 鉄輪』(シテ;観世喜正、ら)
です。 映像の解説も入っており、能楽鑑賞の入門にも
最適と思います。
(添付写真の舞台ではありません)

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2016年04月24日

今夜の TV番組

今夜の TV番組は楽しみだ。
NHK Eテレ 21時〜
古典芸能への招待」で、
我が稽古流派の 宝生流による
隅田川 】が放送されるのだ。
宝生流の謡が聴けるのが嬉しいだけでなく
大鼓は 亀井忠雄師 ! 空間を切り裂く
ような響きに注目だ。
収録は先月29日、宝生能楽堂(水道橋)だ。
これも嬉しいな。

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2016年03月05日

拙写真 掲載書籍

私の撮影した写真 が掲載された 書籍
出版されました。
中学校教材のため一般書店には並びませんが、
本年4月から5年間 使われます。

平成28年度版 音楽の基本ワーク 教出2・3年上

拙者の写真は、舞楽 のページで使われており、
撮影 として 名前も入れて頂いてます
(添付写真では 名前を 画像処理で 消してます)。

西洋クラシック音楽の部で、オーケストラや音楽家
の写真は あのクラシック音楽家写真の重鎮、
木之下晃 氏の写真が掲載されており、共に使われた
ことが大変嬉しいことです。

画像をふんだんに使った見やすく綺麗な教材で、
今このような教材を手にすると、学ぶ意欲が涌くような
思いがします(当時は勉強ってイヤでしたけどね〜苦笑)。

添付写真上; 教材と謹呈書。
添付写真下;舞楽 のページの一部分。添付写真には
舞楽が写ってませんけど、、、(汗)。
撮影者としての 私の名前は画像処理で消してUP しました。 
どんな場合も 写真が使われる場合、クレジットとして
名前は必ず入れて頂くようにしています。

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2016年02月11日

能 の CD

先日の UP の時にも書いたが、謡曲としてでなく
お囃子も入った 能 としての ライブCD は少ない。
雅楽と比べても半分以下だろう。
検索して通販で Get できる 能の数少ない CD 、
添付写真の CD を Get した。
能と狂言総合誌「花もよ」が出されている
能【道成寺】、番囃子【求塚(後場)】、
能【江口(後場)】 である。
道成寺は、他にも部分的に聴くことができる CD(※)
が存在するが、この CD は ほぼ全曲、アイも含め、
83分が収録されている。観世寿夫師、33歳の時
(1959年9月26日録音)の演能である。能の録音や
録画は、観世寿夫師によるものが多い。実力人気も
さることながら、ご本人が能を越えたジャンルで
活躍されたり積極的にメディアに出られたりされて
いたこと、そして時代背景もあろう。ちょうど
カラヤンが時代の寵児として脚光を浴びたように。
能は本来、録音だけで楽しむ芸術ではない。面、装束、
舞台、小道具が揃い、舞い囃し、そして静と動、静寂
をも楽しむものである。録音では一部の側面しか
分からない。しかしそれにしても録音や映像が少ない。
海外からの観光客が増えて能に興味を持っても、知る
手段が少なすぎる。もうちょっと何とかなるとイイの
だけど。

(※)CD『亀井広忠』〜謡は無し
CD『至高の四重奏 能楽囃子』

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2016年02月04日

先日の日曜(1月31日)、NHK『古典芸能への招待』で
能 【 砧 】 が放送された。
録画したのだが、ブルレイレコーダーが固まって録画が
途中で終わっていた(泣)。
ここ数年は ワーグナーばかり聴いていたが、 振り子が
揺れ戻るかの如く、今年になり 雅楽 の CD をよく聴いている。
能も CD を沢山聴きたいのだが、謡曲は有っても能舞台の
録音 CD が少ないのが難点だ。 が、検索したら【 砧 】が
出ていたので 直ぐに ポチ り、その CD が到着した。
シテは観世寿夫、ワキは先日お亡くなりになった
宝生閑、ワキツレ 奥善助、アイ 野村万之丞
笛 一噌幸政、小鼓 北村治、大鼓 亀井忠雄、
太鼓 三島元太郎 、地謡 観世静夫ら 以上の各師による
舞台のライブ録音である。
録音されたのは、昭和51(1976)年9月8日。
場所は ナンと パリ、オルセイ劇場である。
それまで海外で演能される場合は、物語の分かりやすい、
視覚的な要素も多い番組が選ばれていたが、この CD が
収録された時は、あえて 世阿弥晩年の大作が選ばれたのだ
という。
抑制された動きと静寂感と内面描写は、能のイメージ
らしい能である。言葉の分からないフランスで、はたして
受け入れられるか一種の冒険であったろう。
が結果は大成功。二日後の再演では千人を超える観客が
通路にもあふれかえったという。
ライブからは、観客が舞台に集中する緊張感も伝わってくる。
そして残響が能楽堂より長く思われるホールの空間を
切り裂くような、お囃子も素晴らしい。能楽諸師だけでなく、
素晴らしいお囃子方のお名前をみれば、名演まちがいない
と思える。
拙者の流派の 宝生流 ではないが、流派を超えて聴きたい
世紀の名演録音である。

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2016年02月02日

宝生閑 師

今日の朝刊をみて驚いた。
能楽ワキ方 宝生流の 宝生閑 師の訃報である。
拙者、最近でこそ 東京の能楽堂で 能 を鑑賞する
機会が少ないが、東京在住時代は主に水道橋の
宝生能楽堂へ通っていた(ちなみに拙者の
稽古部屋は、その能楽堂の上に有った)。
宝生閑師のワキは、空気のようでありながら
存在感抜群であった。ワキ柱の横に微動だにせず
鎮座、まさに鎮座という言葉がふさわしい風格と
重厚感で舞台を引き締めていらっしゃった。
番組表をみて、宝生閑師のお名前を見つけると
期待感が高まったものだった。
その宝生閑師、享年81歳、、、合掌。

宝生閑師が出られてらっしゃる 能 の DVD
【井筒】 を今夜は鑑賞しようと思う。

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2015年07月06日

七夕の雅楽

前日の ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会
と連日となる 愛知芸術劇場コンサートホールでの演奏会
鑑賞、 一昨日は 『 七夕 の 雅楽 』。
宮内庁式部職楽部のメンバーが主体となって結成された
東京楽所 による 雅楽舞楽 だ。
演奏会は二部構成であった。

第一部 管絃
一、壱越調音取(いちこつちょうねとり)
二、入破(じゅは)
三、朗詠 二星(じせい)
四、武徳楽(ぶとくらく)
第二部 舞楽
一、賀殿(かてん)左舞
二、抜頭(ばとう)右舞


雅楽の超エリート集団による、完璧なアンサンブル
ハーモニー。素晴らしい以外に表現が無い。
前夜の欧州オーケストラの印象も強烈に残る中で
聴くと、クラシック音楽用のホールでは篳篥などが
響き過ぎるように感じた。聴いた場所は、お気に入り
の三階二列目中央部分での拝聴だ。
舞楽は本来、平地で舞われるのを同じ高さから鑑賞
するのが普通だ。舞台を俯瞰するように三階から見る
のは稀なケースだが、平舞の【賀殿】は本当に美し
かった。4人の舞人さんの舞の調和が何とも言えず、
そして雅楽の調べに永遠に続くような時空の中に
漂うような錯覚に陥った。4人舞の平舞は、俯瞰的
鑑賞が機会が増えると良いのだが。
それにしてもお客さんも良く入った。一階二階は満席
だったと思う。全体的には90%の入りだから、満員御礼
って表現でも間違いないだろう。その1,900人ほどの
観客には初めて雅楽を聴く人も混じっていたようだ。
来場は 珍しいから、と云う動機だろうか。【賀殿】の
「破」と「急」の間、そして「急」の途中でもフライング
の拍手が起こった。舞人さんの集中力を削ぐようで、残念
だった。どこで拍手してイイのか分からないのなら、
会場の様子をみて拍手してもよいだろうに。
【抜頭】は、その切れ味の鋭さが衝撃的な迫力だった。

舞楽は撮影することが多い。また撮影してみたくなった。

添付写真は チラシとチケット。コンサートホール
ロビーにて。

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2013年10月11日

能 井筒

先日の日曜日(6日)、真野恵里菜ちゃんのイベントに向かう東京メトロの駅で見かけたポスターに
目を奪われた。
井筒】 だっ!
『新宿御苑 森の薪能 』だが、売り切れ御礼 のシールが貼ってある。完売である。
観たかった、羨ましい 。
ちょうど季節の能であるし、【井筒】は拙者が能を好きになった初期に魅かれた印象深い曲である。
筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざるまに
と在原業平と紀有常の娘の恋を亡き世から顕現してきて謡う。井筒の女の霊は、想い出の男の
装束を羽織って扮装した姿で 月明かり照らしススキ揺れる井筒の側で舞って消えて行く、、、。
殆ど動きが無いシテ(主役)の姿は、能の舞台印象として強烈だった。
ポスターには、ススキ揺れる井筒の側の女の霊を写し出しており、素晴らしい写真だ。
そそられるポスターである。
ところでポスターには、 『 世阿弥生誕650年記念 』 ともある。
そう、今年は世阿弥の生誕650年、観阿弥の生誕680年である。
クラシック音楽では ワーグナー や ヴェルディ が 生誕200年ということで記念演奏会が国内外で
多々ある。 日本だけでなく外国でも キリの良い数字の年には、記念行事を行おうという
気運になるのだろう。主観的なものだけど。だって生誕199年と客観的には、何も変わらない。
で、世阿弥である。生誕650年。まぁ、キリがいいのか悪いのか微妙だ。観阿弥の生誕680年
ともなると、キリがいいとはいえないだろう(汗)。
ただ云える事は、世阿弥生誕700年の本当にキリがいい年には、拙者は生きていない
ということ。そう思えば、微妙な生誕年でもありがたく思える。

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2013年07月12日

靖国神社 能舞台

東京都の靖国神社には、立派な能舞台がある。
江戸時代、能楽師の諸流派は幕府や諸藩の保護の元に活動を行っていた。
明治維新の政変は、能楽師にとっては庇護を失う転機となり、能狂言は一時的に
衰微しかかった。 維新後暫く経過した明治14(1881)年4月16日、能狂言の
衰微を憂えた華族48人によって「能楽社」が設立され、独自の能舞台を芝公園に
持って舞台開きをすることと成った。
芝能楽堂といい、実は現在 靖国神社にある能舞台がそれである。
能狂言の衰微に憂えて設立した能楽社と舞台であったが、能狂言界が復興しかかると
諸流派は自前の舞台を持つことができるようになり、芝能楽堂の使用は減った。
明治35(1902)年、「能楽社」として行き詰まり、能舞台は靖国神社に
奉納されることとなった。
現在、神霊を慰めるための演能が上演されたりしている。
成仏できない霊がシテ(主役)となる番組が多い能は場所柄、おどろおどろし過ぎる
ように思うのだが。
しかし鏡板の影向の松は、退色しているのか?  (本年5月3日の撮影)

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2012年10月28日

雅楽(舞楽)十三夜観月会(明治村)

昨夜は 妻と 明治村 へ、25年ぶりに行ってきた。
目的は、【十三夜観月会】の 「雅楽の夕べ」 である。

第一部(17:30〜18:00)が 道行『越天楽』、管弦『陪臚』、舞楽『胡蝶』
第二部(18:30〜19:00)が、道行『越天楽』、管弦『五常楽』、舞楽『右抜頭』であった。
演奏は、瀧鳴会の皆さん。

添付写真は、 札幌電話交換局横特設舞台 における、『右抜頭』。
歯切れ良い、スケール大きく見事な抜頭であった。

名月と秋の虫の声を合い間に楽しみながら、名物のカレーパンなどを頬張り
演奏を待つひと時も、冷えゆく村内に秋の深まりを感じた一夜であった。

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2012年05月24日

野宮

写真は 野宮神社(京都市右京区嵯峨野宮町)の社前。
鳥居は樹皮を剥がさずに建立したいわゆる、黒木鳥居である。
能楽の【野宮】では、ちょうどこの場所が舞台となっている。

( 能; 野宮 )
諸国一見の旅の僧が鳥居前で女に出会う。女は 今日、9月7日は昔を偲ぶ神事を行うから
立ち去って欲しいという。訊ねると、昔この野宮の地に世を避けていた六条御息所を光源氏が
訪ねた日が9月7日だという。語る女は寂しげに黒木鳥居の陰に消えていった。
女は六条御息所の亡霊であった。僧は六条御息所の霊を弔っていると 御息所の亡霊が現れて
葵上との車争いで辱められた恨みを晴らしてほしいと訴え、かつて光源氏が訪れてきた日々を
偲んで舞を静かに舞った。成仏できないのは神の意にもかなわぬことだと亡霊は消えていった。
  死してなお恨みの妄執から成仏できない地獄の苦しみを、静かな風情ある嵯峨野の情景に
重ねて舞うのは、風景の美しさを通り越した鬼気迫る凄みを内包しており、能ならではの
内容の曲である。

添付写真;今月20日の撮影。

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2012年05月22日

嵯峨野・小督庵

嵐山嵯峨野、大堰川に面した道路沿いに 小督庵 は静かな佇まいの門を構えている。
前を通る観光客は、見向きもしない。さらに通る人もまばらな脇道に入った処、
ちょうど小督庵の裏の一角に相当するであろうところに、五輪塔と背後に層搭が
あり 小督 の 供養塔 をなしている。

ここは 能楽小督】の謡蹟でもある。
(能;小督)
小督は桜町中納言藤原成範の女(むすめ)であったが、高倉天皇(第80代、在位1168〜80)
の寵愛を受けていた。高倉天皇の中宮は徳子、平清盛の女(むすめ)で後の建礼門院であるから
平家の圧迫を恐れた小督は、この地に身を隠した。
それを嘆いた高倉天皇は、源仲国に文を持たせて嵐山嵯峨野へ小督を探しに行かせた。
探すあてもなく名月の嵯峨野を仲国は馬でめぐる。そのとき、かすかに琴の音色が聴こえてきた。
「想夫恋(そうふれん)」という曲である。琴の音色をたよりにたどり着いた先は小督の隠れる
庵であったが、小督は仲国に会おうともしない。侍女のとりなしで小督に会った仲国は、高倉天皇
からの文を渡す。小督は帝の思し召しに感涙し、仲国は小督に見送られて都へ帰っていく。
この能は 女である小督の名前をタイトルとしながら シテは男である仲国であり、小督はツレである
のがユニークである。名月の嵐山嵯峨野、そして琴の音色に美女・小督。舞台は出来上がった、と
思うのだが舞は仲国がシテだから男舞というのが逆に小督の置かれた板ばさみの哀しみを表して
いるのかもしれない。

添付写真; 一昨日の撮影。 小督庵 の門と 供養の 五輪塔と層搭。

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2012年05月20日

ボート遊び

今日は 妻 とボートに乗ってきた。 たっぷり2時間と20分、漕ぎまくった。
河の流れに最初は思うように漕げず、どうなるかと思った。
なんたってボートを漕ぐのは25年ぶり!。
漕いで写す、写して漕ぐ。写しながら漕ぐ。かなり撮影してきた。
(添付写真;妻の撮影)

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2011年11月03日

五節舞 (京都御所)

先月31日(月)から今月6日(日)まで、京都御所(御苑)の秋季一般公開が行われている。

その期間でも、催しがある日が三日間ある。5日(土)は、雅楽演奏(平安雅楽会)。6日は蹴鞠(蹴鞠保存会)。そして今日、撮影してきた 五節舞(いちひめ雅楽会)である。
京都御所の新御車寄の特設舞台で舞われるのだが、実に珍しい。前回に五節舞が行われたのは、4年前。その4年前の更に前は11年前というほど、稀にしか舞われることがない。
五節舞、舞楽唯一の女性による舞であるが、どちらかというと祭祀舞である。
しかも祭祀舞の最高峰である。
なんたって、宮中祭祀で舞われる舞であり、大嘗祭で舞われたりする。そんな祭祀舞であるから、一般人が祭礼で目にすることは無い。ましてや撮影など無理の無理。しかし稀には雅楽団体の演奏会で舞われたりすることもあるが、撮影が不可能の場合が殆どである。であるから、京都御所での五節舞は、撮影可能な希少価値的シーンである。撮影チャンスが貴重なだけでなく、ロケーションが御所とは、まさにうってつけな場所だ。
昭和に作曲作舞された浦安之舞や豊栄ノ舞などのルーツとも云える曲で、天武天皇ゆかりの曲で東大寺の大仏開眼や節会などでも奉奏された歴史的な曲だが、現在の曲は大正時代の復元である。

添付写真は、その五節舞の特徴的な、扇を差し出すように一列に舞姫がなるシーンである。 美しい!
(本日の撮影)

4年前の五節舞は、こちら⇒ 五節舞

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2011年09月28日

羅城門 (真野ちゃんカメラで撮る)

真野ちゃんカメラで、京都の羅城門跡を撮る。

桓武天皇が造った平安京、朱雀大路の南端にあった正門である羅城門の跡、今では石碑が立つのみである。
この羅城門、史跡として魔界として、そして雅楽の関連としても聖地である。
これまで行こうと思いながらも、なかなか寄れなかったが、壬生にも近いことから行ってみた。
九条通り千本東の羅城門バス停の近くなのだが、行き過ぎてしまい、現地人に尋ねた。すると、京都三大ガッカリだよ、と教えてくれた。なかなかユーモアある案内だ。
石碑が立つ小さい公園は九条通りから20mほど宅地に入り込んでおり、分かり難い。付近に駐車場も見当たらず、午前7時半という通行量の少ない時間なので、ハザードランプを点灯させたまま停車させ石碑へ急いだ。
この石碑(添付写真)は羅城門の北西位置に相当し、九条通りに我がプリウス君を駐車した辺りまでが羅城門の建物内だったのだ。大きな門、でか過ぎたのか、二度倒壊している。弘仁7(816)年に大風で 天元3(980)年には暴風雨で倒壊し、以後再建されることはなかった。倒壊後は、この辺りは平安京の域外となるからか、死体の捨てる場所となっていたようである。そのようなおどろおどろしい場所ゆえ、そして偉容を誇った羅城門が大きすぎて不気味だったためか、あるいは域外との結界だったためか、その全てだったろうが、鬼の棲む門として恐れられた。渡辺綱の鬼退治の話も羅城門を舞台にしている。そして雅楽関連で忘れてならないエピソードがある。雅楽で一番多く演奏されている曲は、「長慶子」であることは疑い無いであろう。その曲の作曲者は源博雅であるが、彼が都を歩いていると帝の元から盗まれた玄象(上)という琵琶の音色が聴こえてきた。どうやら盗んだ鬼が羅城門の上で弾いているようだ。結局、鬼は源博雅に名器の琵琶を返してくれるのであるが、鬼としても相手が源博雅だからがゆえだったのだろう。
このように羅城門には、結界、鬼の棲む魔界そして雅楽など、あらゆるエピソードが込められた場所である。そのような異界が、今では宅地の中で窮屈そうにしていた。

真野恵里菜ちゃんが10thシングル「My Days for You」のMVで使用したのは、ウエストレベルファインダーのカメラ。そのカメラで縦位置写真を撮影するのは、体を傾けてひねって撮影する必要があり、なかなか一筋縄でいかない撮影だった。
(今月18日撮影)
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2011年05月04日

王の舞と蘭陵王そして散手

今月1日、福井県(旧)三方郡美浜町の彌美(弥美)神社の祭礼へ行ってきた。
舞楽ファンとして、ここの「王の舞」に以前から興味があったが 例年1日のため、日曜日になる今年を待っていた。
王の舞」と称する舞は若狭地方で、16箇所の神社で奉納されるほど、地域特性がある。
彌美神社の「王の舞」は、赤い装束に鼻高面に鳳凰の冠、そして長い鉾を持って舞う。16箇所ある「王の舞」には、紋付袴で舞うなど装束にバリエーションがあるようだが、鼻高面という天狗系の面に鉾という共通性は高い。「王の舞」の解説には、“ 元は竜王の舞という舞楽曲が、竜というのが欠けて王の舞となった”という記述もWEBでは見られる。実際、現在も「竜(龍)王の舞」と称する舞楽曲を舞う、地方舞楽がある。隠岐国国分寺蓮華会や林家舞楽では、「龍王」とか「竜王の舞」と云う曲がある。しかしこれらは舞楽の名曲「蘭陵王」の変形である。事実、「蘭陵王」は略称で「陵王」とか「竜王」と云われるのである。呼称が「りょうおう」⇒「りゅうおう」に転訛したか、蘭陵王の面の上に竜の飾りが乗ることから、「竜王」になったのかもしれない。「蘭陵王」は左方舞楽だが、実際には右方舞楽の「納曽利」が竜の舞だったりするから、「竜の舞」と言い始めると ややこしい。
話を戻すと、では若狭方面に伝承する「王の舞」は、「蘭陵王」が原型なのだろうか。そのような説明も散見する。ここで彌美神社の「王の舞」の装束を改めて見ると、なるほど左方舞楽のイメージカラーの赤系である。だが紋付袴の事例も神社では有ることを思えば、彌美神社の赤装束は、舞が始まったはるか後世の近代において風流化した装束か、逆に紋付袴で舞う「王の舞」の装束が左方舞楽の流れである特質を捨てたのか、どちらかであろう。装束については、かようである。しかし赤ら顔の面と鉾を持って舞うのは舞楽で考えると、決して「蘭陵王」ではない(!)。赤ら顔+鉾+赤装束=左方舞楽「散手」しか無いのである。 「王の舞」の名称は 竜王の竜が欠けて王の舞になったのではなく、「散手」からの舞楽の類似であり、「散手」の舞の意味を思えば遥かにこの地にふさわしい。「散手」は神功皇后の三韓征伐の時に率川明神が舟の軸に現れて勝利に導いた謂われの曲であるが、海民である若狭の民に伝承されるにふさわしい内容だと思う。添付写真の左下には、後姿の少年が写っているが、この少年が舞い終えた舞人から鉾を受け取る。まさに「散手」の番子と同様なのに、唖然としてしまった。
このような舞が、いつから始まったのか不明のようである。こんにち各地で伝承されている里神楽の殆どが江戸時代中〜後期に成立したように、「王の舞」もその頃に始まったか、あるいは逆にかなり古いかどちらかだろう。若狭は山越えで南下し琵琶湖を経て、平城京や平安京との交易が盛んであった。海産物や塩などが運ばれるうちに、中央の舞楽曲である「散手」が伝わって「王の舞」として独自の発展を遂げたことは、十分に考えられる。そうであれば「王の舞」は約1,000年の歴史、または里神楽同様に江戸時代の成立なら約250年の歴史、、、かなり時間差があるが、いづれかであろう。

(今月1日撮影 by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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posted by gagaku at 15:31| 能楽・雅楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

厳島神社舞楽「蘭陵王」

三度目の正直 か、二度あることは三度ある か、、、どうなるか、、。で、やっと三度目に、天は最高の状況を設定してくれた。ここ厳島神社(広島県廿日市 宮島)舞楽の奉拝・撮影に訪れるのは三度目。前の2回は、いづれも雨にたたられて、室内の外拝殿での奉奏に変更になり、野外の舞台での舞いは拝観できずであった。やっぱり厳島神社といえば、瀬戸内海に立つ朱塗りの両部鳥居をバックに舞うシーンである。しかし3度目で やっと今回は野外舞台となり、しかも光線状態良好、そして舞の時間帯が満潮と重なり、満々たる青い海を背景に優美な舞を奉拝・撮影することができた。

行程は次ぎの通りであった。
22日の仕事後、18時15分出発。高速道の休日千円料金狙いのため、山陽道の宮島SAで日付変更を待ち、午前0時15分、宮島口のホテルにチェックイン。
復路は宝塚トンネル周辺と四日市周辺の大渋滞予測が出ていたため帰路を急いだが、渋滞は全くなく順調であった。宮島口出発 午後3時03分、自宅着午後8時43分。 走行距離 1,1046 Km。 今回は、 妻も同行した。

昨年の外拝殿での舞の写真は、こちら

by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

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posted by gagaku at 06:32| 能楽・雅楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

祭儀次第に

静岡浅間神社(静岡市)さんにおける「第八回 仲秋管弦祭」の祭儀・演目次第(パンフレット)に、
私が昨年 撮影した〈せんげんの舞〉の写真が使われたため、この度お送り下さいました。
添付写真は その部分で、Photo として撮影者の私の名前を入れて下さいました (添付写真では、名前を曖昧に画像処理)。
残念ながら本年は拝聴できませんでしたが、次第は下記の通りでした。また次回は拝聴に参拝させて頂きたく思ってます。

第八回 仲秋管弦祭 平成22年9月22日(水)
管弦  平調音取 越天楽
稚児舞楽  安摩 太平楽
祭祀舞  せんげんの舞
管弦  黄鐘調音取 捨翠楽
神楽  四方舞
舞楽  萬歳楽

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posted by gagaku at 20:59| 能楽・雅楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

再会の三井寺

今月23日、滋賀県高島市で「御牢開神事」を奉拝・撮影後、滋賀県大津市の三井寺(天台寺門衆総本山園城寺)へ参詣した。既報のように、三井寺にあるらしい、笠の形が三角形の三角宝塔の探索が目的である。結果は、非公開庭園にあるということで撮影は叶わなかったが、お能の曲に関連あるお寺に参詣できたことは、嬉しかった。
お能の曲とは、ずばりその名の通り、【三井寺】である。生き別れた我が子との再会の能でも、季節が春の能【隅田川】では、我が子を思うあまりに狂乱となった母が再会したのは、没後1年の念仏供養される亡霊となった我が子、という悲しい結末である。一方、この三井寺が舞台となる能では、季節は丁度 今の時季、仲秋の名月の頃で、狂乱となった母は寺の稚児となった我が子に再会するハッピーエンドである。
能【三井寺】で、狂乱(物狂い)となった母は、仏縁を祈って梵鐘を撞いてしまう。三井寺の梵鐘は“近江八景〜三井晩鐘”と云われている。現在の梵鐘は、慶長7(1602)年に鋳造されているから、お能が作曲されたころの鐘は、所謂“弁慶の引き摺り鐘”を想定していたのだろうか。
(添付写真、今月23日撮影)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

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posted by gagaku at 20:40| 能楽・雅楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする