主韻会さんによる雅楽・舞楽の
「新春雅楽コンサート」を鑑賞してきた。
曲目
[神楽歌]
「其駒」
[管絃]
壱越調音取
胡飲酒序
胡飲酒破残楽三返
[舞楽]
迦陵嚬
陪臚一具
主催:宗次ホール(名古屋市中区栄)
演奏協力:手力雅楽会
宗次ホールでは初めて雅楽を聴くが、素晴らしい
残響に見事な演奏であった。神に奉納する「其駒」
を新春初めの演目にもってきて、最後に祝典的な
陪臚で締めるという構成も聴きごたえあった。
主韻会さんは毎年新年には宗次ホールで演奏され
ているようで、また来年も拝聴したいものだ。
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2025年01月12日
2023年06月05日
能楽囃子 葛野流大鼓方 亀井忠雄師 逝去
添付写真上;
今朝、 Yahoo !のニュースをチェックして驚いた。
昨夜(04日、日曜日)23時57分、 読売新聞の配信では、
能楽囃子 葛野流大鼓方 亀井忠雄師が 今月03日(土曜日)
に 逝去されたということだ。 81歳。合掌
私の 稽古流派 が 宝生流 であったし、職場から近く歩いて
行ける 水道橋・宝生能楽堂では、演能において よく
亀井忠雄師の大鼓を聴いて痺れたものだった。空間と時間
を鋭く切り裂くような音色と 研ぎ澄まされた所作は、
能楽堂という空間を異界に誘ってくれたものだ。
東京の住いを離れてからは、なかなか亀井忠雄師の大鼓
を聴く機会が無くなってしまった。またいつか能鑑賞と
共に拝聴の機会を得たいものだ、と思いながらもなかなか
実現しないうちの訃報である。「またいつか」というのは
実現しない単なる希望にすぎなかった、と後悔している。
添付写真下;
せめて CD で亀井忠雄師の大鼓を聴いて、今夜は御冥福を
お祈りしたい、、、。手元に亀井忠雄師が御囃子された
CDは、2枚有った。
「砧 / 羽衣 観世寿夫 至花の二曲」のうち、「砧」は
1976年の演能のライブレコーディングで亀井師が聴ける。
このCD、凄い! (「羽衣」も演能のライブ録音)
「能楽囃子」全曲 大鼓は亀井忠雄師。御囃子にどっぷり
浸れるCDだ。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
![20230605manofureEX1.JPG](https://manoeriwagner.up.seesaa.net/image/20230605manofureEX1-thumbnail2.JPG)
今朝、 Yahoo !のニュースをチェックして驚いた。
昨夜(04日、日曜日)23時57分、 読売新聞の配信では、
能楽囃子 葛野流大鼓方 亀井忠雄師が 今月03日(土曜日)
に 逝去されたということだ。 81歳。合掌
私の 稽古流派 が 宝生流 であったし、職場から近く歩いて
行ける 水道橋・宝生能楽堂では、演能において よく
亀井忠雄師の大鼓を聴いて痺れたものだった。空間と時間
を鋭く切り裂くような音色と 研ぎ澄まされた所作は、
能楽堂という空間を異界に誘ってくれたものだ。
東京の住いを離れてからは、なかなか亀井忠雄師の大鼓
を聴く機会が無くなってしまった。またいつか能鑑賞と
共に拝聴の機会を得たいものだ、と思いながらもなかなか
実現しないうちの訃報である。「またいつか」というのは
実現しない単なる希望にすぎなかった、と後悔している。
添付写真下;
せめて CD で亀井忠雄師の大鼓を聴いて、今夜は御冥福を
お祈りしたい、、、。手元に亀井忠雄師が御囃子された
CDは、2枚有った。
「砧 / 羽衣 観世寿夫 至花の二曲」のうち、「砧」は
1976年の演能のライブレコーディングで亀井師が聴ける。
このCD、凄い! (「羽衣」も演能のライブ録音)
「能楽囃子」全曲 大鼓は亀井忠雄師。御囃子にどっぷり
浸れるCDだ。
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2022年09月12日
伊賀上野城 薪能
先週土曜日、午前中の仕事後に 名古屋でのカフェ
コンサートにおいて 谷口沙和さんのバイオリンを拝聴。
その後、伊勢湾岸道・東名阪道を走って 三重県伊賀市の
伊賀上野城 第39回 薪能へ移動。
伊賀上野城本丸広場で演能が行われるのはコロナ騒ぎで
中断が有ったため、3年ぶりということである。
私自身は2018年が直近だから、4年ぶりに上野城で
鑑能である。
前日まで雨天が心配だった(雨天は会館内で)が、見事
な快晴の日となった。コロナ以前は見所は無料だった
ように記憶しているが、今回は¥1,000の有料席となり、
250席が完売していた。特設舞台の設置や能楽諸師への
ことを思えば安すぎるように思うが、伊賀市の行事である
ことを思えば、市の補助有っての良心的値段設定だろう。
番組は 狂言【雷】、能【杜若(喜多流)】であったが、
その前に「伊賀市こども能楽教室」のお子さんや成人の
方による仕舞が行われた。仕舞などを稽古している人に
とって、薪能の舞台で稽古の成果が発表できるのは励み
となり、大変良いことだろう。
さて 能【杜若】は 「旅の僧の前に杜若の精が顕れて、功徳
によって草木国土悉皆成仏と舞って成仏する」という事で
単純に見れば簡単である。しかし杜若の精は在原業平の初冠
に恋愛関係の有った二条の后・高子の御衣を身に付けて舞う
から、その意味は単純では無く複雑である。杜若の精の
中で二人が合体しているかのように見えるし、二人の功徳
だけを吸収しているだけのようにも見える。杜若の精は
在原業平は歌舞の菩薩の化現で、その功徳で成仏できたと
告げるのだが、その感覚は理屈では無く感覚で捉えないと
難しい。
能の形式は一場物(単式能)であるが、二場物(複式)の
夢幻能へ様式が発展する一歩前のようなスタイルである。
僧侶が夢の中で体験したというより、シラフの状態で精が
顕れるのも、夢幻能へ発展と途中のようにも思えるが、
あるいはこれはこれで良いとも思える。
見所には初めて能を鑑賞する人が多かったためか、喜多流
シテ方による解説も有った。
ただ、、、「お調べ」が始まっているのに解説が続いていた
のは残念だった。 鏡の間での「お調べ」が本丸広場に
厳粛に響く様子も、期待感の高まりと共に静かに
聴きたかった。
添付写真上;狂言【雷】
添付写真下;能【杜若】(シテ;長田郷、ワキ;飯富雅介)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
![20220911manofureEX12.JPG](https://manoeriwagner.up.seesaa.net/image/20220911manofureEX12-thumbnail2.JPG)
コンサートにおいて 谷口沙和さんのバイオリンを拝聴。
その後、伊勢湾岸道・東名阪道を走って 三重県伊賀市の
伊賀上野城 第39回 薪能へ移動。
伊賀上野城本丸広場で演能が行われるのはコロナ騒ぎで
中断が有ったため、3年ぶりということである。
私自身は2018年が直近だから、4年ぶりに上野城で
鑑能である。
前日まで雨天が心配だった(雨天は会館内で)が、見事
な快晴の日となった。コロナ以前は見所は無料だった
ように記憶しているが、今回は¥1,000の有料席となり、
250席が完売していた。特設舞台の設置や能楽諸師への
ことを思えば安すぎるように思うが、伊賀市の行事である
ことを思えば、市の補助有っての良心的値段設定だろう。
番組は 狂言【雷】、能【杜若(喜多流)】であったが、
その前に「伊賀市こども能楽教室」のお子さんや成人の
方による仕舞が行われた。仕舞などを稽古している人に
とって、薪能の舞台で稽古の成果が発表できるのは励み
となり、大変良いことだろう。
さて 能【杜若】は 「旅の僧の前に杜若の精が顕れて、功徳
によって草木国土悉皆成仏と舞って成仏する」という事で
単純に見れば簡単である。しかし杜若の精は在原業平の初冠
に恋愛関係の有った二条の后・高子の御衣を身に付けて舞う
から、その意味は単純では無く複雑である。杜若の精の
中で二人が合体しているかのように見えるし、二人の功徳
だけを吸収しているだけのようにも見える。杜若の精は
在原業平は歌舞の菩薩の化現で、その功徳で成仏できたと
告げるのだが、その感覚は理屈では無く感覚で捉えないと
難しい。
能の形式は一場物(単式能)であるが、二場物(複式)の
夢幻能へ様式が発展する一歩前のようなスタイルである。
僧侶が夢の中で体験したというより、シラフの状態で精が
顕れるのも、夢幻能へ発展と途中のようにも思えるが、
あるいはこれはこれで良いとも思える。
見所には初めて能を鑑賞する人が多かったためか、喜多流
シテ方による解説も有った。
ただ、、、「お調べ」が始まっているのに解説が続いていた
のは残念だった。 鏡の間での「お調べ」が本丸広場に
厳粛に響く様子も、期待感の高まりと共に静かに
聴きたかった。
添付写真上;狂言【雷】
添付写真下;能【杜若】(シテ;長田郷、ワキ;飯富雅介)
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2021年02月07日
2019年03月28日
能楽堂へ
先週の土曜日(23日)は 「たけやま3.5」さんの
ライブがお台場の Zepp DiverCity Tokyo で開催され、
その翌日の日曜日(24日)には 「たけやま3.5」
のメンバーさんを囲んでのオフ会が行われたので
参加してきた。
日曜日のオフ会は集合が 午後02時だったので、
集合時間まで、 水道橋の 宝生能楽堂で
【 宝生会 春の別会能 】を鑑賞してきた。番組は
素謡【翁】、能【高砂】、狂言【二人袴】、能【安宅】
であった。
開演が午前11時であったが、能楽堂を午後01時10分
には出たかったので、残念ながら【安宅】は未見
となった。
宝生能楽堂は もう35年も前になってしまったが、
舞囃子などで立ったことのある舞台だ。上京して
時間が有ると宝生能楽堂へ足を運ぶようにしているが、
やっぱり懐かしさが行く度に込み上げてくる。
能【高砂】は仕舞も謡も稽古した番組だが、能で拝見
するのは記憶にないほど久しぶりである。だから
全くの初見のように、前場と後場の切り替わりの早さに
舌を巻いた。前シテが幕間に入ると、すかさず後シテ
が顕れる。瞬時にシテが装束を替えるのではない。
前と後、二人のシテが入れ替わるのである。前と後の
シテの背格好から体型もそっくりなので、入れ替わり
と分からない程であった。つまり、間狂言が無いから
シテ2人で舞わなくてはならないのだ。このような点は
実際に舞台を拝見してこそ、判る点である。
お囃子方も、切れ味最高で素晴らしい。やっぱり東京の
舞台である。【安宅】では 亀井広忠師も出られるよう
で拝見したかったが、オフ会の集合時間に間に合わないと
困るので、JR水道橋駅へ急ぎ能楽堂を出た。
■3月24日(日)/(1)11時〜(2)16時〜
「宝生会 春の別会能」
(1)●宝生流 素謡「翁」★宝生和英
●宝生流 能「高砂」作物出★亀井保雄 今井泰行
●宝生流 能「安宅」延年之舞 貝付貝立★武田孝史
(2)●宝生流 能「草紙洗」★當山孝道
●宝生流 能「道成寺」★佐野弘宜
◆宝生能楽堂
添付写真は 宝生能楽堂ロビーで、チケットと番組表。
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ライブがお台場の Zepp DiverCity Tokyo で開催され、
その翌日の日曜日(24日)には 「たけやま3.5」
のメンバーさんを囲んでのオフ会が行われたので
参加してきた。
日曜日のオフ会は集合が 午後02時だったので、
集合時間まで、 水道橋の 宝生能楽堂で
【 宝生会 春の別会能 】を鑑賞してきた。番組は
素謡【翁】、能【高砂】、狂言【二人袴】、能【安宅】
であった。
開演が午前11時であったが、能楽堂を午後01時10分
には出たかったので、残念ながら【安宅】は未見
となった。
宝生能楽堂は もう35年も前になってしまったが、
舞囃子などで立ったことのある舞台だ。上京して
時間が有ると宝生能楽堂へ足を運ぶようにしているが、
やっぱり懐かしさが行く度に込み上げてくる。
能【高砂】は仕舞も謡も稽古した番組だが、能で拝見
するのは記憶にないほど久しぶりである。だから
全くの初見のように、前場と後場の切り替わりの早さに
舌を巻いた。前シテが幕間に入ると、すかさず後シテ
が顕れる。瞬時にシテが装束を替えるのではない。
前と後、二人のシテが入れ替わるのである。前と後の
シテの背格好から体型もそっくりなので、入れ替わり
と分からない程であった。つまり、間狂言が無いから
シテ2人で舞わなくてはならないのだ。このような点は
実際に舞台を拝見してこそ、判る点である。
お囃子方も、切れ味最高で素晴らしい。やっぱり東京の
舞台である。【安宅】では 亀井広忠師も出られるよう
で拝見したかったが、オフ会の集合時間に間に合わないと
困るので、JR水道橋駅へ急ぎ能楽堂を出た。
■3月24日(日)/(1)11時〜(2)16時〜
「宝生会 春の別会能」
(1)●宝生流 素謡「翁」★宝生和英
●宝生流 能「高砂」作物出★亀井保雄 今井泰行
●宝生流 能「安宅」延年之舞 貝付貝立★武田孝史
(2)●宝生流 能「草紙洗」★當山孝道
●宝生流 能「道成寺」★佐野弘宜
◆宝生能楽堂
添付写真は 宝生能楽堂ロビーで、チケットと番組表。
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2019年03月08日
義仲寺
3日(日)、びわ湖ホール(滋賀県大津市)で ワーグナー作曲
舞台祝典劇『ニーベルンクの指環』第2日【ジークフリート】を
聴きに行った時、演奏会の前に 義仲寺(滋賀県大津市馬場)
を参詣した。
名前の通り、義仲(源木曽義仲)の菩提を弔う寺である。
俗っぽく云うなら、源平盛衰記・平家物語など戦記物の
所縁の地であり、それにちなんだ謡蹟でもある。そして
松尾芭蕉も眠っていると云えば、意外性もあるだろうか。
現在、義仲寺は天台宗系の単立で、御本尊は聖観音菩薩である。
寺の創建時代は不明で、義仲公の愛妾の巴御前が、義仲公
最期の地に草庵を建てて日々供養したのが始まりと云われている。
この義仲寺は びわ湖ホールから直線距離で400m位と近い
にもかかわらず、これまで演奏を聴くだけの往復だったので、
参詣させて頂くのは、実に35年ぶり位である。
お寺の周辺は 以前 参詣した時とは全く様相が変わって
しまっているようで、イマイチ 情景の記憶が蘇って
こなかったが、境内に一歩入った途端、懐かしい思いが
してきた。
35年前の参詣時には、謡本(宝生流)の『巴』を持参し、
木曽義仲公の墓前で45分かけて謡を奉納させて頂いた。他人が
見たら 怪しい と思ったかもしれないが、至って真面目であった。
能楽で木曽義仲がタイトルロールの番組は無いが、前記の『巴』
や『兼平』に、義仲公の最期が謡われている。
余談だが、、、私は 新田義貞公と同様、木曽義仲公は 好きな
武将である。二人には共通点が多々あり、実力だけでは
突き破れなかった壁の無情さが、涙をさそう。
添付写真上; 門前。
添付写真下; 木曽義仲公の最期、宝生流 謡本『巴』。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
![20190307take1.JPG](https://manoeriwagner.up.seesaa.net/image/20190307take1-thumbnail2.JPG)
舞台祝典劇『ニーベルンクの指環』第2日【ジークフリート】を
聴きに行った時、演奏会の前に 義仲寺(滋賀県大津市馬場)
を参詣した。
名前の通り、義仲(源木曽義仲)の菩提を弔う寺である。
俗っぽく云うなら、源平盛衰記・平家物語など戦記物の
所縁の地であり、それにちなんだ謡蹟でもある。そして
松尾芭蕉も眠っていると云えば、意外性もあるだろうか。
現在、義仲寺は天台宗系の単立で、御本尊は聖観音菩薩である。
寺の創建時代は不明で、義仲公の愛妾の巴御前が、義仲公
最期の地に草庵を建てて日々供養したのが始まりと云われている。
この義仲寺は びわ湖ホールから直線距離で400m位と近い
にもかかわらず、これまで演奏を聴くだけの往復だったので、
参詣させて頂くのは、実に35年ぶり位である。
お寺の周辺は 以前 参詣した時とは全く様相が変わって
しまっているようで、イマイチ 情景の記憶が蘇って
こなかったが、境内に一歩入った途端、懐かしい思いが
してきた。
35年前の参詣時には、謡本(宝生流)の『巴』を持参し、
木曽義仲公の墓前で45分かけて謡を奉納させて頂いた。他人が
見たら 怪しい と思ったかもしれないが、至って真面目であった。
能楽で木曽義仲がタイトルロールの番組は無いが、前記の『巴』
や『兼平』に、義仲公の最期が謡われている。
余談だが、、、私は 新田義貞公と同様、木曽義仲公は 好きな
武将である。二人には共通点が多々あり、実力だけでは
突き破れなかった壁の無情さが、涙をさそう。
添付写真上; 門前。
添付写真下; 木曽義仲公の最期、宝生流 謡本『巴』。
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2019年02月25日
訃報 鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)氏
先月の 梅原猛氏に続き、日本の思想に大きな影響を
与えた巨人が、また一人 世を去られた。
昨夜の ネットのニュース、そして新聞朝刊一面にも
「ドナルド・キーンさん死去」の報が出た。
拙者が氏の名前を初めて知ったのは、もうだいぶ前。
書籍【能・文楽・歌舞伎】(講談社学術文庫)の題が
目に留まり、購入したのが氏の著作だった。
能について云うなら、能の中の世界から能を観て洞察
するのではなく、広く西洋の芸術的な視野から俯瞰しつつ
能を分かり易く記述されており、その視点に驚いたもの
である。購入時は外人の書く能楽についてどんなものかと
いう気持ちもあったが、それは利点でもあるように思えた。
例えば能楽師の家で育った学者が書く能楽の本、あるいは
学問としてだけ能楽を捉えた日本人の本とは異なる立ち位置
からの記述であるからだ。すなわち外人が能に接し、能に
興味を持ち接し、驚きと感動の気持ちを持って執筆した
とする。氏は、自分が知りたいと思った点や興味を持って
調べた点を、本当に詳細に記述されており、その点が
生まれながらに能楽師の家で当たり前のように謡やお囃子に
包まれて育った人の書物とは違う点である。
ドナルド・キーン氏は1953年に日本に留学し、以降アメリカと
日本を往復の生活から晩年は日本に定住されていたようだ。
日本に興味を持たれたキッカケが【源氏物語】で、日本の
文学や伝統芸能を海外に多く紹介されてきた。海外で日本
という国、そして文学を含めた芸術の世界が敗戦国で低俗国と
思われていた中で、氏が日本を発信され続けられた功績は
大きい。そしてもう一つ、大きな点。それは敗戦によって
日本という国や精神にダメージを受けたと思い敗戦の自信喪失
した状態の中で、戦勝国のアメリカから日本を愛してくれる
学者が来てくれた、という事実。これは自信喪失した日本人に
少なからずくすぐったいような気持ち、すなわち日本の
アイデンティティを称えられたような嬉しさと自信回復の
支えになったのではなかろうか。ドナルド・キーン氏の名前を
知らない日本人は少ないと思うが、だからと云って氏の著作を
どれだけの人が読んだことがあるのか?。でもいいのである。
ドナルド・キーン氏というアメリカ人が「日本と結婚した」
(本人は終生独身)と述べてくれるだけで、どれだけ日本が
救われたか ということである。これこそが大いなる思想”
だろう。 2011年の東日本大震災で多くの外人が日本を
脱出する状態を嘆き、日本人と共に生き、そして死にたい」
と日本国籍を取得された。アメリカ人が震災を機に日本国籍
を取得するとは、その時まではまだ、外人という立場で
それを利用されていたことになる。しかし日本国籍を取得
され日本人となり、日本で亡くなられた。最期は立派な日本人
として天寿を全うされたことになる。
日本名 鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)氏(合掌)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
与えた巨人が、また一人 世を去られた。
昨夜の ネットのニュース、そして新聞朝刊一面にも
「ドナルド・キーンさん死去」の報が出た。
拙者が氏の名前を初めて知ったのは、もうだいぶ前。
書籍【能・文楽・歌舞伎】(講談社学術文庫)の題が
目に留まり、購入したのが氏の著作だった。
能について云うなら、能の中の世界から能を観て洞察
するのではなく、広く西洋の芸術的な視野から俯瞰しつつ
能を分かり易く記述されており、その視点に驚いたもの
である。購入時は外人の書く能楽についてどんなものかと
いう気持ちもあったが、それは利点でもあるように思えた。
例えば能楽師の家で育った学者が書く能楽の本、あるいは
学問としてだけ能楽を捉えた日本人の本とは異なる立ち位置
からの記述であるからだ。すなわち外人が能に接し、能に
興味を持ち接し、驚きと感動の気持ちを持って執筆した
とする。氏は、自分が知りたいと思った点や興味を持って
調べた点を、本当に詳細に記述されており、その点が
生まれながらに能楽師の家で当たり前のように謡やお囃子に
包まれて育った人の書物とは違う点である。
ドナルド・キーン氏は1953年に日本に留学し、以降アメリカと
日本を往復の生活から晩年は日本に定住されていたようだ。
日本に興味を持たれたキッカケが【源氏物語】で、日本の
文学や伝統芸能を海外に多く紹介されてきた。海外で日本
という国、そして文学を含めた芸術の世界が敗戦国で低俗国と
思われていた中で、氏が日本を発信され続けられた功績は
大きい。そしてもう一つ、大きな点。それは敗戦によって
日本という国や精神にダメージを受けたと思い敗戦の自信喪失
した状態の中で、戦勝国のアメリカから日本を愛してくれる
学者が来てくれた、という事実。これは自信喪失した日本人に
少なからずくすぐったいような気持ち、すなわち日本の
アイデンティティを称えられたような嬉しさと自信回復の
支えになったのではなかろうか。ドナルド・キーン氏の名前を
知らない日本人は少ないと思うが、だからと云って氏の著作を
どれだけの人が読んだことがあるのか?。でもいいのである。
ドナルド・キーン氏というアメリカ人が「日本と結婚した」
(本人は終生独身)と述べてくれるだけで、どれだけ日本が
救われたか ということである。これこそが大いなる思想”
だろう。 2011年の東日本大震災で多くの外人が日本を
脱出する状態を嘆き、日本人と共に生き、そして死にたい」
と日本国籍を取得された。アメリカ人が震災を機に日本国籍
を取得するとは、その時まではまだ、外人という立場で
それを利用されていたことになる。しかし日本国籍を取得
され日本人となり、日本で亡くなられた。最期は立派な日本人
として天寿を全うされたことになる。
日本名 鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)氏(合掌)
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2019年01月12日
藤田流 家元代行
能楽 笛方 藤田流宗家 第十一世家元 藤田六郎兵衛師
が病に没せられたのは、昨年8月28日 のこと。
血脈による宗家継承が途絶えたかたちになっていたが、
今朝の中日新聞(写真左上)によると、観世流宗家
観世清和師が宗家代行の「宗家預かり」を務め、
奥様が流儀運営を行う藤田流職分の会会長に就任
される、後継体制を決められたという。後にふさわし
後継者が現れたさいに、家元が譲られるということ
なのだろう。一系による血脈を続けるということの
困難さと大きさが、第三者にもひしひしと伝わって
くる。
藤田六郎兵衛師は名古屋が地元なので、名古屋能楽堂
で度々 拝聴していた。御姿はオーラを放つ威厳さに
満ち、響きは厳しさと和みを融和された能管であった。
経歴は 名古屋音大の声楽科を首席卒業で、日本の古典
だけでなく、ヨーロッパ・クラシック音楽にも通じた
異色の鬼才であった。
新聞によると、師の能管「万歳楽」は徳川美術館
(名古屋市)に寄託されたという。その逸話には、
涙腺が緩む。本来、優れた笛方によって奏されてこその
能管なのに、美術館という無機的な器の中の収納物に
なるのは、、、悲しい。早く 現世に再生して欲しい
ものだ。
添付写真 は、能楽師葛野流大鼓方 亀井広忠師 の CD。
藤田六郎兵衛師が助演された時のもの。
新聞は 平成31(2019)年01月12日(土)中日新聞朝刊。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
が病に没せられたのは、昨年8月28日 のこと。
血脈による宗家継承が途絶えたかたちになっていたが、
今朝の中日新聞(写真左上)によると、観世流宗家
観世清和師が宗家代行の「宗家預かり」を務め、
奥様が流儀運営を行う藤田流職分の会会長に就任
される、後継体制を決められたという。後にふさわし
後継者が現れたさいに、家元が譲られるということ
なのだろう。一系による血脈を続けるということの
困難さと大きさが、第三者にもひしひしと伝わって
くる。
藤田六郎兵衛師は名古屋が地元なので、名古屋能楽堂
で度々 拝聴していた。御姿はオーラを放つ威厳さに
満ち、響きは厳しさと和みを融和された能管であった。
経歴は 名古屋音大の声楽科を首席卒業で、日本の古典
だけでなく、ヨーロッパ・クラシック音楽にも通じた
異色の鬼才であった。
新聞によると、師の能管「万歳楽」は徳川美術館
(名古屋市)に寄託されたという。その逸話には、
涙腺が緩む。本来、優れた笛方によって奏されてこその
能管なのに、美術館という無機的な器の中の収納物に
なるのは、、、悲しい。早く 現世に再生して欲しい
ものだ。
添付写真 は、能楽師葛野流大鼓方 亀井広忠師 の CD。
藤田六郎兵衛師が助演された時のもの。
新聞は 平成31(2019)年01月12日(土)中日新聞朝刊。
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2018年12月17日
大神神社 観月祭 UP
HP 【 舞!組曲 】の
『日本!(雅楽・舞楽、能楽)』
「雅楽・能楽」No.44
に、大神神社さんにおける
観月祭 を 写真7枚で UP 。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
『日本!(雅楽・舞楽、能楽)』
「雅楽・能楽」No.44
に、大神神社さんにおける
観月祭 を 写真7枚で UP 。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2018年09月25日
観月祭
連休の撮影3連戦、第三弾は 昨夜 大神神社さん
(奈良県桜井市)で斎行された「観月祭」。
大神神社さんで「観月祭」を奉拝・撮影させて
頂くのは何年ぶりかと、自分の HP をチェック
したら、UP しているのは 平成18(2006)年10月
6日の祭典。実に12年ぶり、、、。
その時は 舞楽『蘭陵王』も舞われず、巫女さんも
玉砂利の境内で そのまんま舞われていました。
昨日、久しぶりに参拝させて頂いて、高舞台が
配置されており、驚き。おまけに以前にも増して
参拝者が倍増しており、またまた驚き。
雲の合間から月明かりがおぼろげに差し込む
境内、清々しい観月祭の夜を過ごさせて頂きました。
添付写真は 奇魂ノ舞。 大神神社さん独特の
美しい巫女神楽だ。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
(奈良県桜井市)で斎行された「観月祭」。
大神神社さんで「観月祭」を奉拝・撮影させて
頂くのは何年ぶりかと、自分の HP をチェック
したら、UP しているのは 平成18(2006)年10月
6日の祭典。実に12年ぶり、、、。
その時は 舞楽『蘭陵王』も舞われず、巫女さんも
玉砂利の境内で そのまんま舞われていました。
昨日、久しぶりに参拝させて頂いて、高舞台が
配置されており、驚き。おまけに以前にも増して
参拝者が倍増しており、またまた驚き。
雲の合間から月明かりがおぼろげに差し込む
境内、清々しい観月祭の夜を過ごさせて頂きました。
添付写真は 奇魂ノ舞。 大神神社さん独特の
美しい巫女神楽だ。
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2018年09月23日
薪能
昨夜の撮影は、 連休3連戦の初日。
三重県伊賀市(伊賀上野)の上野城で開催された
薪能を鑑賞、撮影してきた。
演目は、
狂言【蝸牛(大蔵流)】、
能【小袖曽我(観世流)】
であった。
雨天なら小学校の体育館での上演となるところ、
早朝の雨も上がって 虫の音に秋を感じさせる夜、
予定通り 上野城本丸広場で開催された。
添付写真は【小袖曽我(シテ;武田邦弘師)】。
曽我十郎祐成(シテ)と曽我五郎時致(ツレ)
は源頼朝が主催する富士裾野の巻狩りに潜り込んで、
父の仇の工藤祐経を討とうとする。その前に
勘当されていた時致も母に会って勘当を解いて
もらおうとするが、会ってももらえない。
寂しく発とうとする兄弟の後姿に、母はついに
勘当を解く。兄弟は別れの水杯を酌み交わし、
出立前に 相舞の「男舞」を舞う。
素材を『 平家物語 』、『 源平盛衰記 』 にもとめた
四番目物の、いわゆる「雑能」である。
シテが直面という、珍しい曲である。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
三重県伊賀市(伊賀上野)の上野城で開催された
薪能を鑑賞、撮影してきた。
演目は、
狂言【蝸牛(大蔵流)】、
能【小袖曽我(観世流)】
であった。
雨天なら小学校の体育館での上演となるところ、
早朝の雨も上がって 虫の音に秋を感じさせる夜、
予定通り 上野城本丸広場で開催された。
添付写真は【小袖曽我(シテ;武田邦弘師)】。
曽我十郎祐成(シテ)と曽我五郎時致(ツレ)
は源頼朝が主催する富士裾野の巻狩りに潜り込んで、
父の仇の工藤祐経を討とうとする。その前に
勘当されていた時致も母に会って勘当を解いて
もらおうとするが、会ってももらえない。
寂しく発とうとする兄弟の後姿に、母はついに
勘当を解く。兄弟は別れの水杯を酌み交わし、
出立前に 相舞の「男舞」を舞う。
素材を『 平家物語 』、『 源平盛衰記 』 にもとめた
四番目物の、いわゆる「雑能」である。
シテが直面という、珍しい曲である。
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2017年12月18日
HP 更新
今夜、HP 【舞!組曲】の
『日本!(雅楽・舞楽、能楽)』に
能「清経」を写真9枚で UP 。
添付写真 ; 清経の妻の夢枕に戦死(自死)
した清経の霊が顕われる。
写真左側のワキ柱の前に 清経の妻(ツレ)、
右側に 背を向けて 地謡。鏡板の前にお囃子。
橋掛かりにシテの清経。
鏡の間(楽屋)は霊界。舞台がこの世。
橋掛かりは彼岸と此岸を結ぶ橋である。
お囃子は伴奏ではない。囃すことで霊を呼ぶ。
囃子方は、いわゆる霊媒師である。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
『日本!(雅楽・舞楽、能楽)』に
能「清経」を写真9枚で UP 。
添付写真 ; 清経の妻の夢枕に戦死(自死)
した清経の霊が顕われる。
写真左側のワキ柱の前に 清経の妻(ツレ)、
右側に 背を向けて 地謡。鏡板の前にお囃子。
橋掛かりにシテの清経。
鏡の間(楽屋)は霊界。舞台がこの世。
橋掛かりは彼岸と此岸を結ぶ橋である。
お囃子は伴奏ではない。囃すことで霊を呼ぶ。
囃子方は、いわゆる霊媒師である。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2017年10月27日
HP 更新と追加
能『黒塚(安達原)』
旅の途中の熊野の山伏、祐慶らが奥州
安達原の野中で一軒の庵を見つけ、
一夜の宿を乞う。 庵には里女(前シテ)
が一人、、、(添付写真)。
『葵上』『道成寺』、そして『黒塚』
の三つを “三鬼女”という。
里女は、いかにして鬼女になったか。。
今夜、拙 HP の
【日本!(雅楽、舞楽・能楽)】〜
[能楽]No.3 を UP 。
【日本!(復活 蒸気機関車)】
〜No.21 SL 北びわこ号 に写真追加。
トップページ写真は、ドイツ・ライン川
右岸線での 原型01型蒸気機関車。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
旅の途中の熊野の山伏、祐慶らが奥州
安達原の野中で一軒の庵を見つけ、
一夜の宿を乞う。 庵には里女(前シテ)
が一人、、、(添付写真)。
『葵上』『道成寺』、そして『黒塚』
の三つを “三鬼女”という。
里女は、いかにして鬼女になったか。。
今夜、拙 HP の
【日本!(雅楽、舞楽・能楽)】〜
[能楽]No.3 を UP 。
【日本!(復活 蒸気機関車)】
〜No.21 SL 北びわこ号 に写真追加。
トップページ写真は、ドイツ・ライン川
右岸線での 原型01型蒸気機関車。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2017年10月16日
能【 清経 】
昨日は 滋賀県 長浜市 で一日中まったりしてきた。
昼間は長浜駅隣接の 伊吹山珈琲店 で のんびり読書し、
合間に「 SL北びわこ号 」の撮影。
そして夜が 長濱八幡宮さんの秋季例祭における
奉納薪能の鑑賞と撮影である。
昨夜の曲は、【 清経 】。
武将の能、いわゆる修羅物(二番目物)でも
勝ち戦を素材に扱った“勝ち修羅”に対して、
【清経】は負け戦の武将の“負け修羅”である。
清経は平清盛の孫で、平家全盛時代に育った
御曹司である。頼朝の再起により源氏方によって
西国に落ちていくまで、戦知らずの貴族であった。
平家一門が壇ノ浦で滅亡するころ、清経は
行く末に絶望して豊前国柳が浦にて入水自死する。
形見の遺髪を持った家臣(ワキ)が京の清経の
妻(ツレ)の元を訪ねて事の次第を話す。
家臣も去った或る夜のこと、妻の夢枕に亡霊と
なった清経(シテ)が現れる。
妻は 清経が生きて戻らなかったことを嘆き、
戦うことなく自殺を選んだ不甲斐なさに恨み言
まで述べる。清経は追い詰められた苦しい様や
生への未練、妻への懺悔の気持ちなどを
述べながらも、戦さ物語を語り、そして十念を
唱えた功徳で成仏できることを語り、消えていく。
京に置いて行った妻の元に、亡霊となっても
戻りたかった情念と未練が物悲しいながらも
強く生きることへの希求を感じさせる悲しい
能の名曲である。
ワキ柱で鎮座するはずのワキ(家臣)は早々と
舞台を去り、ワキ柱にはツレである清経の妻が
鎮座する。清経の妻が見ている幻、あるいは
夢枕の世界を我々は第三者として観ているので
ある。
添付写真は、その清経の妻(左側)の前に現れた
清経の亡霊。
※詳細はそのうちに HP にて。
能【清経】(観世流にて)シテ、古橋正邦
@ 長濱八幡宮 能舞台 ;秋季例祭奉納薪能
by HP【舞!組曲】www.photoland-ris.com/myanmar/
昼間は長浜駅隣接の 伊吹山珈琲店 で のんびり読書し、
合間に「 SL北びわこ号 」の撮影。
そして夜が 長濱八幡宮さんの秋季例祭における
奉納薪能の鑑賞と撮影である。
昨夜の曲は、【 清経 】。
武将の能、いわゆる修羅物(二番目物)でも
勝ち戦を素材に扱った“勝ち修羅”に対して、
【清経】は負け戦の武将の“負け修羅”である。
清経は平清盛の孫で、平家全盛時代に育った
御曹司である。頼朝の再起により源氏方によって
西国に落ちていくまで、戦知らずの貴族であった。
平家一門が壇ノ浦で滅亡するころ、清経は
行く末に絶望して豊前国柳が浦にて入水自死する。
形見の遺髪を持った家臣(ワキ)が京の清経の
妻(ツレ)の元を訪ねて事の次第を話す。
家臣も去った或る夜のこと、妻の夢枕に亡霊と
なった清経(シテ)が現れる。
妻は 清経が生きて戻らなかったことを嘆き、
戦うことなく自殺を選んだ不甲斐なさに恨み言
まで述べる。清経は追い詰められた苦しい様や
生への未練、妻への懺悔の気持ちなどを
述べながらも、戦さ物語を語り、そして十念を
唱えた功徳で成仏できることを語り、消えていく。
京に置いて行った妻の元に、亡霊となっても
戻りたかった情念と未練が物悲しいながらも
強く生きることへの希求を感じさせる悲しい
能の名曲である。
ワキ柱で鎮座するはずのワキ(家臣)は早々と
舞台を去り、ワキ柱にはツレである清経の妻が
鎮座する。清経の妻が見ている幻、あるいは
夢枕の世界を我々は第三者として観ているので
ある。
添付写真は、その清経の妻(左側)の前に現れた
清経の亡霊。
※詳細はそのうちに HP にて。
能【清経】(観世流にて)シテ、古橋正邦
@ 長濱八幡宮 能舞台 ;秋季例祭奉納薪能
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2017年10月01日
昨夜は薪能【安達原】
昨夜は 三重県 伊賀市 の 上野城 で開催された
第34回 上野城 薪能 を鑑賞・撮影してきた。
有料開催で撮禁の薪能が多い中、無料で撮影可
の上野城薪能はお城を借景に素晴らしい場所で
開催される。もう34回目、、なぜ知らなかったかと
後悔。。。
昨夜の曲目は、 狂言(大蔵流)【寝音曲】、
能(観世流)【安達原】※ であった。
※観世流以外では【黒塚】
切能物【安達原】の前場、熊野那智の山伏が
奥州安達原の野中で一軒の庵をみつけて一夜の宿を
願う。家主の里女は一度は断るが、根負けして招き
入れる。老婆は山伏の前で糸繰車を操りながら、
渡世の業に身を苦しめる果報のつたなさを恨み、
老いの訪れの早さを嘆く。やがて浮々と糸尽くしの
歌を謡い〈糸の段〉、転じて長き命のつれなさを
かこち、糸車を操るのを止めて泣き崩れる。。。
山伏の破約へと自責への怒りから鬼婆に変容し、
山伏に襲い掛かる後場の“動”に比べ、“静”の
前場は、静かで味わい深い。
庵を意味するススキの付いた藁屋の作り物は、
能独特の場面転換に活躍する。山伏が到着した時、
「姥」の面の老婆は藁屋内に佇む。藁屋から出て
きて一転し、場所は庵の中となって、これまで
庵全体を表現していた作り物は、庵の中の自室を
あらわすようになる。
添付写真は、前場。老婆が糸車を操る。奥州の
荒野の中の一軒家、静かな夜ではあるが、結果を
知っている鑑賞者には後場への恐怖に緊張が高まる
場面である。
詳細は また後日、HP へ。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
第34回 上野城 薪能 を鑑賞・撮影してきた。
有料開催で撮禁の薪能が多い中、無料で撮影可
の上野城薪能はお城を借景に素晴らしい場所で
開催される。もう34回目、、なぜ知らなかったかと
後悔。。。
昨夜の曲目は、 狂言(大蔵流)【寝音曲】、
能(観世流)【安達原】※ であった。
※観世流以外では【黒塚】
切能物【安達原】の前場、熊野那智の山伏が
奥州安達原の野中で一軒の庵をみつけて一夜の宿を
願う。家主の里女は一度は断るが、根負けして招き
入れる。老婆は山伏の前で糸繰車を操りながら、
渡世の業に身を苦しめる果報のつたなさを恨み、
老いの訪れの早さを嘆く。やがて浮々と糸尽くしの
歌を謡い〈糸の段〉、転じて長き命のつれなさを
かこち、糸車を操るのを止めて泣き崩れる。。。
山伏の破約へと自責への怒りから鬼婆に変容し、
山伏に襲い掛かる後場の“動”に比べ、“静”の
前場は、静かで味わい深い。
庵を意味するススキの付いた藁屋の作り物は、
能独特の場面転換に活躍する。山伏が到着した時、
「姥」の面の老婆は藁屋内に佇む。藁屋から出て
きて一転し、場所は庵の中となって、これまで
庵全体を表現していた作り物は、庵の中の自室を
あらわすようになる。
添付写真は、前場。老婆が糸車を操る。奥州の
荒野の中の一軒家、静かな夜ではあるが、結果を
知っている鑑賞者には後場への恐怖に緊張が高まる
場面である。
詳細は また後日、HP へ。
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2017年09月27日
HP【舞!組曲】更新と追加
拙HP【舞!組曲】 更新
↓
『日本!(雅楽・舞楽、能楽』〜
《能楽》2.貴船 能の曲との関連で
(ブログより削除して HP に移し、
写真2枚追加と文の修正しました。)
当記事の添付写真は、貴船神社さんでの
「菊花祭」の祭典にて。
_____________
写真 追加
↓
『日本!(近江の祭・火祭)』〜
多賀大社万燈祭
『日本!』〜城南宮 花の神楽
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
↓
『日本!(雅楽・舞楽、能楽』〜
《能楽》2.貴船 能の曲との関連で
(ブログより削除して HP に移し、
写真2枚追加と文の修正しました。)
当記事の添付写真は、貴船神社さんでの
「菊花祭」の祭典にて。
_____________
写真 追加
↓
『日本!(近江の祭・火祭)』〜
多賀大社万燈祭
『日本!』〜城南宮 花の神楽
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2017年07月10日
土曜日の 能楽
先週の土曜日(8日)、宝生能楽堂(文京区本郷;
最寄 JR は水道橋)にて 演能を拝見した。
下記にシテ方・ワキ方の演者名を記すが、お囃子方
および地謡は写真をクリックで拡大し、ご覧ください。
@ 宝生能楽堂 華寶会
能 (宝生流)【 卒塔婆小町 】
シテ:田崎隆三
ワキ:野口能弘、ツレ:野口琢弘
他
能 (金春流)【 殺生石 】
シテ:櫻間右陣
ワキ:野口敦弘
他
狂言(和泉流)【 栗焼 】
シテ;野村万作
アド;深田博治
主宰は下掛宝生流の(ワキ方)である
野口敦弘師である。ワキ方からの主催ゆえ、
流派を超えた番組が二番並ぶのが嬉しい。
まず拙者の稽古流派の宝生流による【卒塔婆小町】。
実は初見である。シテの老婆の枯れ具合がなんとも
云えない能だった。位が重い番組だろうが、若い
能楽師さんが舞ったらどんな小町になるだろうか、
そんな思いで鑑賞した。
【殺生石】は舞台の上の岩の作り物の中で野干に
変化して出て来る。岩の割れ方にも流派によって
いろいろ有るようで、興味深かった。岩の中から
赤頭で現れるのは、インパクト十分だ。道成寺
と違って、後見役が手伝うので脇正面席からだと
着替えが見える。できるなら正面席から鑑賞したい
番組である。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
最寄 JR は水道橋)にて 演能を拝見した。
下記にシテ方・ワキ方の演者名を記すが、お囃子方
および地謡は写真をクリックで拡大し、ご覧ください。
@ 宝生能楽堂 華寶会
能 (宝生流)【 卒塔婆小町 】
シテ:田崎隆三
ワキ:野口能弘、ツレ:野口琢弘
他
能 (金春流)【 殺生石 】
シテ:櫻間右陣
ワキ:野口敦弘
他
狂言(和泉流)【 栗焼 】
シテ;野村万作
アド;深田博治
主宰は下掛宝生流の(ワキ方)である
野口敦弘師である。ワキ方からの主催ゆえ、
流派を超えた番組が二番並ぶのが嬉しい。
まず拙者の稽古流派の宝生流による【卒塔婆小町】。
実は初見である。シテの老婆の枯れ具合がなんとも
云えない能だった。位が重い番組だろうが、若い
能楽師さんが舞ったらどんな小町になるだろうか、
そんな思いで鑑賞した。
【殺生石】は舞台の上の岩の作り物の中で野干に
変化して出て来る。岩の割れ方にも流派によって
いろいろ有るようで、興味深かった。岩の中から
赤頭で現れるのは、インパクト十分だ。道成寺
と違って、後見役が手伝うので脇正面席からだと
着替えが見える。できるなら正面席から鑑賞したい
番組である。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2017年07月07日
七夕の曲
今日は七夕。
七夕の曲って、有りそうで少ない。
思い付くのは、 二星 朗詠 (じせい ろうえい)。
平安時代中期に完成された「朗詠」という
『雅楽』のジャンルの歌曲である。
CD では、伶楽舎による演奏で聴ける(ちょっと
変わった演奏だが)。
一ノ句〜三の句までで6分52秒の曲だ。
実際には 弘安七(1284)年七月七日に初見された
曲ということである。
七夕は星辰信仰から生まれた行事で、奈良時代には
朝廷の行事にも採用された節日(せちにち)。
【二星 朗詠】が作曲された平安時代には
書籍『有職故実』を見ると、既に風流なイベント色
が強い行事になっていたことが分かる。
添付写真は、伶楽舎CD のライナーノーツでの
【二星 朗詠】の部分。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
七夕の曲って、有りそうで少ない。
思い付くのは、 二星 朗詠 (じせい ろうえい)。
平安時代中期に完成された「朗詠」という
『雅楽』のジャンルの歌曲である。
CD では、伶楽舎による演奏で聴ける(ちょっと
変わった演奏だが)。
一ノ句〜三の句までで6分52秒の曲だ。
実際には 弘安七(1284)年七月七日に初見された
曲ということである。
七夕は星辰信仰から生まれた行事で、奈良時代には
朝廷の行事にも採用された節日(せちにち)。
【二星 朗詠】が作曲された平安時代には
書籍『有職故実』を見ると、既に風流なイベント色
が強い行事になっていたことが分かる。
添付写真は、伶楽舎CD のライナーノーツでの
【二星 朗詠】の部分。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2017年02月01日
先日の TV番組
一昨日の Eテレ「古典芸能への招待」は超印象的だった。
( 1月29日、日曜日、21時00分〜23時00分 放送 )
( TV画面をそのまんま写しUPは不可なので、その
番組を鑑賞しながら茶を飲んでいる という感じの
室内の情景写真として UP。)
厳島神社の能舞台における観月能である。演目名を
見た時は、チョイ失望した。『羽衣』。能楽堂における
定例能などと違い、イベント色の強い薪能などでは
能のファン以外にも初めて能を鑑賞する人にも“受け”
易い曲が選ばれることが多いからだ。たしかに『羽衣』
は名曲だが秋の季節の曲でないのに、分かり易さで
選ばれたように思ったのだ。 だがっ、天女が登場した
途端に誤解であることが判った。 厳島神社での観月能、
満月に近く舞台の最中に満潮になる日を選ばれて開催と
いう計算された日時ゆえ、曲の最中に最大の潮位となって
舞台下 約60センチくらいまで海面が迫ってきており、能
舞台が海面に浮かんだ浮島のよう。そんな驚くべき舞台は
海上に設置された照明が波に当たり、その反射が鏡板の
上の方と天上に当たって揺らめく。その光の揺らめきは
シテ(天女)の胸の上に主に当たって鳳凰天冠が煌めく。
その様は正に天上の如しである。おまけに天女の長絹は
紅地で、遠目にも浮かび上がって見えるのだ。まさしく
異界の如く夢、幻の情景だ。この揺らめきに『羽衣』は
ふさわしい。
なお厳島観月能と紀州徳川家版、大鼓において亀井広忠
亀井忠雄の親子の両師を拝聴できたのも、嬉しかった。
(シテは喜多流の師であられた。拙者の宝生流とかなり
異なるので、謡は異質に聴こえたが仕方ない。)
厳島神社能舞台は5つ重文に指定された内の一つで、現在
の舞台は延宝8(1680)年の建築という。
厳島神社観月能は今年で20回目。喜多流シテ方の友枝昭世
師が中心となって行われている。
開催は知っていても観月能には 未訪問であるし、映像を
観るのも初めてであったが、たちまち虜になってしまった。
ただし開催は週末とはならず、なかなか平日では訪問が
難しいのが残念である。でもいつの日には訪れたいものだ。
Eテレ;古典芸能への招待「厳島観月能・紀州徳川家版
“石橋”」
(1)厳島観月能から能「羽衣」・半能「高砂」/
出演;友枝昭世・森常好ら/2016年10月14日
(2)紀州徳川家版「石橋」
出演;香川靖嗣・宝生欣哉ら/2016年2月・喜多能楽堂
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
( 1月29日、日曜日、21時00分〜23時00分 放送 )
( TV画面をそのまんま写しUPは不可なので、その
番組を鑑賞しながら茶を飲んでいる という感じの
室内の情景写真として UP。)
厳島神社の能舞台における観月能である。演目名を
見た時は、チョイ失望した。『羽衣』。能楽堂における
定例能などと違い、イベント色の強い薪能などでは
能のファン以外にも初めて能を鑑賞する人にも“受け”
易い曲が選ばれることが多いからだ。たしかに『羽衣』
は名曲だが秋の季節の曲でないのに、分かり易さで
選ばれたように思ったのだ。 だがっ、天女が登場した
途端に誤解であることが判った。 厳島神社での観月能、
満月に近く舞台の最中に満潮になる日を選ばれて開催と
いう計算された日時ゆえ、曲の最中に最大の潮位となって
舞台下 約60センチくらいまで海面が迫ってきており、能
舞台が海面に浮かんだ浮島のよう。そんな驚くべき舞台は
海上に設置された照明が波に当たり、その反射が鏡板の
上の方と天上に当たって揺らめく。その光の揺らめきは
シテ(天女)の胸の上に主に当たって鳳凰天冠が煌めく。
その様は正に天上の如しである。おまけに天女の長絹は
紅地で、遠目にも浮かび上がって見えるのだ。まさしく
異界の如く夢、幻の情景だ。この揺らめきに『羽衣』は
ふさわしい。
なお厳島観月能と紀州徳川家版、大鼓において亀井広忠
亀井忠雄の親子の両師を拝聴できたのも、嬉しかった。
(シテは喜多流の師であられた。拙者の宝生流とかなり
異なるので、謡は異質に聴こえたが仕方ない。)
厳島神社能舞台は5つ重文に指定された内の一つで、現在
の舞台は延宝8(1680)年の建築という。
厳島神社観月能は今年で20回目。喜多流シテ方の友枝昭世
師が中心となって行われている。
開催は知っていても観月能には 未訪問であるし、映像を
観るのも初めてであったが、たちまち虜になってしまった。
ただし開催は週末とはならず、なかなか平日では訪問が
難しいのが残念である。でもいつの日には訪れたいものだ。
Eテレ;古典芸能への招待「厳島観月能・紀州徳川家版
“石橋”」
(1)厳島観月能から能「羽衣」・半能「高砂」/
出演;友枝昭世・森常好ら/2016年10月14日
(2)紀州徳川家版「石橋」
出演;香川靖嗣・宝生欣哉ら/2016年2月・喜多能楽堂
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2016年12月20日
HP の 更新
「 日本!(雅楽・舞楽) 」 に 能楽 を追加し、
「 日本!(雅楽・舞楽、能楽) 」 として、
長濱八幡宮(滋賀県長浜市)さんにおける 薪能
を UP 。
この日は昼間に 長浜きもの園遊会、 夜には
奉納薪能 と 御神輿還御 と 盛りだくさんでした。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
「 日本!(雅楽・舞楽、能楽) 」 として、
長濱八幡宮(滋賀県長浜市)さんにおける 薪能
を UP 。
この日は昼間に 長浜きもの園遊会、 夜には
奉納薪能 と 御神輿還御 と 盛りだくさんでした。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/