2023年11月20日

「李花集」入手

後醍醐天皇の皇子である武人にして歌人の、
宗良親王の家集を入手した。
添付写真に写っている『新葉和歌集』は吉野朝の
公家らの歌を編纂したものであるが、『李花集』は
宗良親王に特化した和歌が自身によって、編纂
されている。こちらは 南朝年号の天授3(北朝年号の
永和3;1377)年にまとめられている。吉野から
信濃大河原へ出立の頃にまとめられたと思われる。
一方、『新葉和歌集』は南朝年号の弘和元年(北朝
年号の永徳元年;1381年)に長慶天皇に奏進されている。

この『李花集』の印刷出版物は現在 発売されていない
ので、古本に頼るしかない。
入手したのは昭和18(1943)年に出た岩波文庫の第二刷
である。ちなみに初版は昭和16(1941)年である。

まえがきに相当する解題に書かれた校訂者である松田武夫氏
の文が、時代精神を表している、、、
「われわれは、この御集を通して、宗良親王の御心持を
拝し、感奮興起するところがなければならない」
宗良親王の歌にある、、、
「君がため世のため何か惜しからむすててかひある
命なりせば」
松田氏の解題にある「感奮興起」という言葉は、宗良親王
の上記の歌にリンクさせることで、君(天皇)に命を
捧げるという戦中の興国思想を鼓舞している。
まさに歌が歪曲され悪用された事例だろう。
吉野朝(南朝)の皇族や忠臣が、戦前戦中にいかに利用
されたかということである。それは敗戦による価値観の
崩壊を招き、それ以降は宗良親王の歌集が出版されていない
ことからも世の激変を思うことができる。
しかし冷静に南朝ファンとしての立場から見ると、
この歌集に収められた歌は吉野や京への望郷やもどかしい
焦燥が多く感じられ、もしこの歌集全てが太平洋戦争の
戦場に向かう若者全てを勇ましく鼓舞する目的で昭和16年
に出版されたのなら、敏感にはくじけそうな心を
読み取ったかもしれない。あるいは吉野朝の皇子も
自分と一緒だと、同じ意識になったのだろうか、それは
分からない。少なくとも『李花集』の宗良親王に近づくために
私は今回、入手してみた。

by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

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posted by gagaku at 23:53| 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする