東海北陸道の福光IC から僅か5分位の畑の中に、
添付写真の土饅頭のような塚がある。
後醍醐天皇の第五皇子(第四、八の説もあり)の
宗良親王の第三子である 尹良親王の塚だという。
現地では「尹良王の塚」と呼んでいるが、即位して
「王」になった記録は無い。
尹良親王は宗良親王と共に北陸に転戦し、この地で
亡くなったというのが現地での説であるが、親王の
御陵として宮内庁が定めた場所は長野県下伊那郡
阿智村浪合に存在している。宮内庁が定めたから
正確ということは全くないが、一応は史書「浪合記」
などの記述に基づいており、かなり信憑性が高い
ものと思う。
「浪合記」によると 尹良親王は正平19(1364)年に
生まれて、後南朝期の応永31(1424)年09月07日に
戦死したらしい。
宗良親王が越中に転戦したのは興国3(1342)年頃
であるから、同行した尹良親王が越中で死去したなら
生誕年月日からして 有り得ない。
南朝贔屓の土地から生まれた X-ファイル話であろう。
この地は「大塚」という住所だが、かつては「王塚」
と呼んでいたそうだが、遠慮から「大」に字を変更
したという。
※ 尹良王塚 ; 富山県南砺市大塚
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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