コンサートにおいて 谷口沙和さんのバイオリンを拝聴。
その後、伊勢湾岸道・東名阪道を走って 三重県伊賀市の
伊賀上野城 第39回 薪能へ移動。
伊賀上野城本丸広場で演能が行われるのはコロナ騒ぎで
中断が有ったため、3年ぶりということである。
私自身は2018年が直近だから、4年ぶりに上野城で
鑑能である。
前日まで雨天が心配だった(雨天は会館内で)が、見事
な快晴の日となった。コロナ以前は見所は無料だった
ように記憶しているが、今回は¥1,000の有料席となり、
250席が完売していた。特設舞台の設置や能楽諸師への
ことを思えば安すぎるように思うが、伊賀市の行事である
ことを思えば、市の補助有っての良心的値段設定だろう。
番組は 狂言【雷】、能【杜若(喜多流)】であったが、
その前に「伊賀市こども能楽教室」のお子さんや成人の
方による仕舞が行われた。仕舞などを稽古している人に
とって、薪能の舞台で稽古の成果が発表できるのは励み
となり、大変良いことだろう。
さて 能【杜若】は 「旅の僧の前に杜若の精が顕れて、功徳
によって草木国土悉皆成仏と舞って成仏する」という事で
単純に見れば簡単である。しかし杜若の精は在原業平の初冠
に恋愛関係の有った二条の后・高子の御衣を身に付けて舞う
から、その意味は単純では無く複雑である。杜若の精の
中で二人が合体しているかのように見えるし、二人の功徳
だけを吸収しているだけのようにも見える。杜若の精は
在原業平は歌舞の菩薩の化現で、その功徳で成仏できたと
告げるのだが、その感覚は理屈では無く感覚で捉えないと
難しい。
能の形式は一場物(単式能)であるが、二場物(複式)の
夢幻能へ様式が発展する一歩前のようなスタイルである。
僧侶が夢の中で体験したというより、シラフの状態で精が
顕れるのも、夢幻能へ発展と途中のようにも思えるが、
あるいはこれはこれで良いとも思える。
見所には初めて能を鑑賞する人が多かったためか、喜多流
シテ方による解説も有った。
ただ、、、「お調べ」が始まっているのに解説が続いていた
のは残念だった。 鏡の間での「お調べ」が本丸広場に
厳粛に響く様子も、期待感の高まりと共に静かに
聴きたかった。
添付写真上;狂言【雷】
添付写真下;能【杜若】(シテ;長田郷、ワキ;飯富雅介)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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