与えた巨人が、また一人 世を去られた。
昨夜の ネットのニュース、そして新聞朝刊一面にも
「ドナルド・キーンさん死去」の報が出た。
拙者が氏の名前を初めて知ったのは、もうだいぶ前。
書籍【能・文楽・歌舞伎】(講談社学術文庫)の題が
目に留まり、購入したのが氏の著作だった。
能について云うなら、能の中の世界から能を観て洞察
するのではなく、広く西洋の芸術的な視野から俯瞰しつつ
能を分かり易く記述されており、その視点に驚いたもの
である。購入時は外人の書く能楽についてどんなものかと
いう気持ちもあったが、それは利点でもあるように思えた。
例えば能楽師の家で育った学者が書く能楽の本、あるいは
学問としてだけ能楽を捉えた日本人の本とは異なる立ち位置
からの記述であるからだ。すなわち外人が能に接し、能に
興味を持ち接し、驚きと感動の気持ちを持って執筆した
とする。氏は、自分が知りたいと思った点や興味を持って
調べた点を、本当に詳細に記述されており、その点が
生まれながらに能楽師の家で当たり前のように謡やお囃子に
包まれて育った人の書物とは違う点である。
ドナルド・キーン氏は1953年に日本に留学し、以降アメリカと
日本を往復の生活から晩年は日本に定住されていたようだ。
日本に興味を持たれたキッカケが【源氏物語】で、日本の
文学や伝統芸能を海外に多く紹介されてきた。海外で日本
という国、そして文学を含めた芸術の世界が敗戦国で低俗国と
思われていた中で、氏が日本を発信され続けられた功績は
大きい。そしてもう一つ、大きな点。それは敗戦によって
日本という国や精神にダメージを受けたと思い敗戦の自信喪失
した状態の中で、戦勝国のアメリカから日本を愛してくれる
学者が来てくれた、という事実。これは自信喪失した日本人に
少なからずくすぐったいような気持ち、すなわち日本の
アイデンティティを称えられたような嬉しさと自信回復の
支えになったのではなかろうか。ドナルド・キーン氏の名前を
知らない日本人は少ないと思うが、だからと云って氏の著作を
どれだけの人が読んだことがあるのか?。でもいいのである。
ドナルド・キーン氏というアメリカ人が「日本と結婚した」
(本人は終生独身)と述べてくれるだけで、どれだけ日本が
救われたか ということである。これこそが大いなる思想”
だろう。 2011年の東日本大震災で多くの外人が日本を
脱出する状態を嘆き、日本人と共に生き、そして死にたい」
と日本国籍を取得された。アメリカ人が震災を機に日本国籍
を取得するとは、その時まではまだ、外人という立場で
それを利用されていたことになる。しかし日本国籍を取得
され日本人となり、日本で亡くなられた。最期は立派な日本人
として天寿を全うされたことになる。
日本名 鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)氏(合掌)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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