が病に没せられたのは、昨年8月28日 のこと。
血脈による宗家継承が途絶えたかたちになっていたが、
今朝の中日新聞(写真左上)によると、観世流宗家
観世清和師が宗家代行の「宗家預かり」を務め、
奥様が流儀運営を行う藤田流職分の会会長に就任
される、後継体制を決められたという。後にふさわし
後継者が現れたさいに、家元が譲られるということ
なのだろう。一系による血脈を続けるということの
困難さと大きさが、第三者にもひしひしと伝わって
くる。
藤田六郎兵衛師は名古屋が地元なので、名古屋能楽堂
で度々 拝聴していた。御姿はオーラを放つ威厳さに
満ち、響きは厳しさと和みを融和された能管であった。
経歴は 名古屋音大の声楽科を首席卒業で、日本の古典
だけでなく、ヨーロッパ・クラシック音楽にも通じた
異色の鬼才であった。
新聞によると、師の能管「万歳楽」は徳川美術館
(名古屋市)に寄託されたという。その逸話には、
涙腺が緩む。本来、優れた笛方によって奏されてこその
能管なのに、美術館という無機的な器の中の収納物に
なるのは、、、悲しい。早く 現世に再生して欲しい
ものだ。
添付写真 は、能楽師葛野流大鼓方 亀井広忠師 の CD。
藤田六郎兵衛師が助演された時のもの。
新聞は 平成31(2019)年01月12日(土)中日新聞朝刊。
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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