上座部仏教と巧く棲み分けされたナッ神は精霊信仰と云われるが、自然物に宿る神だけでなく実は悲劇的な運命を辿った、中には刑死した人も含む人物神が多いことも特徴である。ミャンマー関連の書籍を見ても、そのような非業な死を遂げた人物を神に祀り上げることに関して特定の表現をしていないが、これは日本流に云うなら『御霊信仰』に相当する。むろん今の日本で菅原道真が怨霊としてでなく、学問の神様に転化しているように、ミャンマーのナッ神も例外ではない。
添付写真はチャイティーヨーで撮影した、ナッ神に祈る人々である。彩色美しく塗られたマネキンのように見えるのは、ナッ神の神像である。かなり具象的な像である。賽銭を神像の周囲に納め、自分の体の悪い部分を神像で撫でると、治るという。医療が普及していない状況では、祈るという行為は切実である。
( ※添付写真の手前に、バンダナみたいなのを頭に巻いて背中を向けて座っている二人も、神像です。参詣者ではありません。)
(ミャンマーにて 1999年11月撮影;Nikon F100、24mmF2.8D、E100s)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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