
滋賀県米原市の霊通山清滝寺徳源院の京極佐々木家累代の供養塔である、宝篋印塔の写真は、今月4日に当BlogにUPした通りである。そのUPした写真の下段には、今夜の添付写真の京極高次(第19世)の宝篋印塔が、石廟に納められて安座している。高次は織田信長の元で人質として、秀吉になってからは仕え、関ヶ原の合戦では徳川方についたという、波乱万丈な世を過ごした。正室は浅井三姉妹のお初(常高院)で、京極家の中興の祖と云われる。それだからか、徳源院の京極家墓地は、高次を中心に広がっている。そのコアー部分に、この石廟があるのだ。
(撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm)
by
HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
posted by gagaku at 22:05|
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石造美術
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鎌倉時代の宝筺印塔を目指して行きましたので
戦国武将のところは疎かになりました。
途中、いろいろ工事をしていました。
背後の宝筺印塔の並びがいいですね!
石廟の格子戸から内部を覗くと、宝筺印塔が
安座していました。ここまで丁寧にされている
のですから、ひょっとすると埋め墓で、本当に
遺骨でも安置されているかもしれませんね。
あるいは石棺に収められて、遺骸が、、、その点
の詳細が分からないですが。