飯開神社への社参撮影が終わり延勝寺からの帰路、ふたたび『さざなみ街道』を走って長浜方面に戻る時、
能【竹生嶋(竹生島)】の小謡を謡いたくなる情景を見かけたので、ついつい車を停めて撮影した(添付写真)。写真の左側の島が、竹生島である。
「所は海の上 國は近江の江に近き 山々の春なれや 花はさながら白雪の ふるか残るか時知らぬ 山は都の冨士なれや 猶さえかへる春の日に 比良の嶺おろし吹くとても 沖漕ぐ舟はよもつきじ 旅のならひの思はずも 雲居の余所に見し人も 同じ舟になれ衣うらを隔てて行く程に 竹生嶋も見えたりや」
(宝生流 謡本 内六巻ノ一 能楽【竹生嶋】より小謡)
この【竹生嶋】という能の作者は不明だが、一説では金春禅竹作とも云われている。『さざなみ街道』を走りながら小謡(上記)を謡うと、作者はこの情景をほんとうに歩いて取材したのだろうと思えてきた。能の関連した謡跡は全国にあるが、室町時代に能楽師が全国を歩いて取材するとは、どこまで可能だったのだろうか、、、フトそのようなことを思った。
(今月11日撮影、滋賀県東浅井郡湖北町にて;Nikon D300+VR18-200mm)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
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竹生島は、友人と三十三ヶ所めぐりをした時に行きました。
謡は、美しく情景が詠まれていますね。遊行僧だったのでしょうか。
>謡は、美しく情景が詠まれていますね。遊行僧だったのでしょうか
例えば観阿弥・世阿弥は、阿弥号を名乗っていますので、時宗の同朋衆かと思われたりします。同朋衆は寺社に経済基盤を持つ神人でありながら、異能と思われる技能を持つ人たちも多かったようです。猿楽も寺社の祭祀に奉仕したりしてましたから、世阿弥らは芸名として阿弥を名乗っていたようです。「竹生島」の作者が遊行僧だったか、微妙でしょうね。