一昨日、昨日とUPした北脇(滋賀県蒲生郡日野町)の勧請縄を見つけたのは偶然であって、目的地は今夜UPした諸木神社であった。昨年暮れの29日にやはり偶然見つけて寄った時、初詣準備をしてらした氏子さんに、新しい勧請縄の架け替えが1月12日と伺っていたので行ってみたのだ。午前中の仕事をしてから出かけたので、現地に着いたのは午後3時を過ぎていた。やはり架け替えは終わっていたが、真新しい勧請縄を見ることができた。島津の家紋のような護符が昨年12月29日に訪れた時(今月5日の拙BlogにUP済)は骨格だけになっていたが、今日は樒(?)と榊でデコレーションされていた。添付写真は鳥居と勧請縄の関係を撮影した写真なので、護符自体は分かりにくいが。今月5日の拙Blogにも書いたように、参道には鳥居と勧請縄で厳重に神社が防御されている。鳥居だけでは不十分か?では鳥居とは?と、またまた疑問に思える。この地域の氏子さんにとって、鳥居は神様の坐す聖域のランドマークでしかないのか。いや、鳥居は人に対して頭を下げて潜ることで簡易法の禊をさせる浄化装置なのか。それに対して、勧請縄は霊的存在の邪霊の侵入を防塞しつつ聖域を清浄に保つ装置なのか。先日も引用した本(※)には、面白い例えが書いてあった。参道は産道だというのだ。山岳修行者にとって、山の霊力を得る擬死再生をするときに行き来する参道こそ、生まれ変わりの産道だというのだ。この神社の背後は昨日UPしたように、山ノ神を祀る神奈備型の山である。山ノ神が田ノ神となり、再び山ノ神となって戻る、、、本質は祖霊とも云われる山ノ神と田ノ神の往還するルートは神の通る参道であって、豊穣を村に孕ませる産道でもあるのだろう。神社に二重に聖域防御装置が並んでいるのは、それだけ集落の人々にとって重要な意味があるのだろう。
>参考書(※)稲田智宏【鳥居】光文社新書
(滋賀県蒲生郡日野町で、今月12日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
2008年01月17日
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樒は仏さんで榊は神さんと教わったことがありますが。鳥居と勧請縄のダブルロックといい日本人はなんでもいいと思うととりいれてしまうのですね。
>日本人はなんでもいいと思うととりいれてしまうのですね
日本人は縁起担ぎも好きですから。
でも「おまじない」って漢字で書くと
「お呪い」ってやっぱ凄いですよね。
「のろい」と紙一重ってことでしょうね。