2008年01月14日

勝部の火まつり(守山市) ・写真

滋賀県守山市の勝部神社において、火祭りが一昨日行われたので、撮影してきた。
約800年前の土御門天皇が病になられたとき、近江の国栗太、野洲の両郡の境に大沼があって、そこの大蛇が天皇に危害を加えているという。宮中から軍を差し向けて勝部神社に参篭、ついに姿を現した大蛇を殺し焼いた処、天皇の病気は平癒したという。その伝承を持つ火祭りは、この勝部神社が長さ約5mの大松明12基大蛇の胴体を表している。
祭りは午後6時から褌だけの若衆が大太鼓三基を持ってそれぞれが町内巡行をする。午後8時、その大太鼓が神社境内に入ると、大松明も境内に勢揃いする。そして午後8時半頃に大松明に奉火されると、境内一帯が火の海と化す。その前で若衆が円陣を組んでグルグル回り乱舞する(添付写真は、そのシーン)。
この祭りは一種の左義長とも考えられる。が、あるいは小正月の前に行われることや天皇に憑いた悪霊の伝承を考えるなら、晦日に邪霊を攘する儀礼とも私は考えるが、どうであろうか。奉火の前に町内を大太鼓が巡行してから境内に入るのは、町内の疫神などを追い払い清めていく行為であろう。左義長は新年に迎えた歳神様を注連飾りや門松を焼くことで、火と共に送る儀式である。すると邪霊祓いにウエイトを置いていると私が思う「勝部の火まつり」は通常の左義長とは少々違うのかもしれない。そこらへん解釈が難しいが・・・。ちなみに同じ守山市の住吉神社では、「住吉(浮気)の火まつり」が行われ、こちらの大松明は大蛇の頭を表すという。こちらは来年、訪れたい。
大松明は点火されるとアッという間に炎上し、ものの5分程で燃え尽きてしまった。12基の大松明が一番火力が強くなった時は猛烈に熱く、さすがの若衆も近寄らないので、炎の前で若衆が乱舞するのは僅か1分くらいである。シャッターチャンスは少ない、、、。
(添付写真は昨日撮影;Nikon D300+VR18-200mm)
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/
katsub Nitta.JPG
posted by gagaku at 20:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 祭り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
撮影日、昨日ではなく一昨日の12日(土)でした。
書きミスしました。
Posted by Nitta at 2008年01月14日 20:06
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