2007年12月30日

鏡山宝篋印塔(1)・写真

近江地方は多くの古刹がある地であるし、民俗芸能や祭りも数多い。そして石造美術に関しても、磨崖仏や種々な石塔が存在するなど興味深い土地である。祭や民俗芸能の撮影の際に同時に石塔を訪ねることも可能だが、祭モードに自分が入っている中では、なかなか石塔をじっくり訪れることができない。光の状態をみたりして撮影を始めると、一つの石塔に何十分もかけるので、石塔は石塔撮影だけで訪れたいのだ。そして今日は、その目的だけのために六箇所の石塔、しかも宝篋印塔を巡ってきた。
添付写真は滋賀県蒲生郡竜王町、鏡山宝篋印塔である。なにしろこの石塔の特色は、塔身部分にと思われる鳥形を四隅に配している点。そして格狭間に向かい合った孔雀を配している点であろう。塔身部分に鳥を配している宝篋印塔は現在北村美術館所有の「鶴の塔part2に記載)」が知られ、しかも日本における最も古い宝篋印塔と考えられている。それは時代的には鎌倉時代初期・中期の嘉禄3(1227)〜寛元元年(1243)と推察されるから、この鏡山宝篋印塔もその後の鎌倉時代後期であろう。この宝篋印塔は残念ながら相輪が亡失しているが、高さ194Cm花崗岩製の風格は立派である。石塔下には石室があり、鎌倉時代の骨壷片、土師器などと多人数の埋葬骨が発見されている。
余談になるが、呉越国王の銭弘俶(せんこうしゅく)が955年から10年間にわたって製作した金属製の「銭弘俶八万四千塔(金塗塔)」が迦楼羅(かるら)という伝説の鳥を配していることや形態の類似から日本の宝篋印塔の祖形と長い間考えられてきた。しかし宋代に石造の宝篋印塔が中国に存在したことが近年知られてきて、金属製「銭弘俶八万四千塔(金塗塔)」が日本の石造宝篋印塔ルーツ説は変わってきている()。
山川均【石造物が語る中世職人集団】山川出版)
添付写真は、今日の撮影;Nikon D300+VR18-200mm
by HP【舞!組曲】www.photoland-aris.com/myanmar/

kagamiyama2nitta.JPG
posted by gagaku at 18:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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